久慈あさみ
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1952年頃
本名森山 淑子(もりやま よしこ)
生年月日 (1922-05-02) 1922年5月2日
没年月日 (1996-07-11) 1996年7月11日(74歳没)
出生地 日本東京府東京市京橋区(現・東京都中央区
血液型B型
ジャンル宝塚歌劇、映画俳優
活動期間1941年 - 1996年
主な作品
社長シリーズ
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久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年大正11年〉5月2日 - 1996年平成8年〉7月11日)は、日本の女優歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区新富町出身。本名は森山 淑子。
略歴1954年

生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館[1]1939年麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位[2]淡島千景南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた[3]。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。

1951年ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』で歌った「チャッカリマンボ」等のヒットの他、NHK紅白歌合戦にも2回出場し、「ボタンとリボン」と「デッカメン・ソロ」を歌う。1952年東宝と専属契約を結び1971年にフリーになるまで活躍した。社長シリーズでは森繁久弥社長の恐妻として28本にレギュラー出演している。『俺の空だぜ!若大将』が最後の映画出演。1971年以降はフリーでテレビや舞台での活躍を続ける。

1996年7月11日に74歳で亡くなる。東京・神田のニコライ堂聖歌隊に感銘をうけ日本ハリストス正教会洗礼を受けて正教徒となっており、埋葬式場・遺骨安置先はともにニコライ堂であった。

死後、2014年に古巣・宝塚歌劇団100周年記念で創設された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人のひとりとして殿堂入りを果たし、前述の「東京の三羽烏」と言われた淡島・南とともに殿堂入りとなった。
出演作品
宝塚歌劇団所属時代の主な舞台

桃太郎の凱旋(1942年5月26日 - 6月24日、月組公演、
宝塚大劇場

瀧廉太郎(1942年11月26日 - 12月28日、月組公演、中劇場)

大空を継ぐもの(1943年8月26日 - 9月24日、月組公演、宝塚大劇場)

翼の女子挺身隊(1944年1月1日 - 1月24日、月組公演、宝塚大劇場)

ボレロ/人魚姫(1946年9月1日 - 9月29日、月組公演、宝塚大劇場)

マノン・レスコオ/アリババ物語(1947年3月1日 - 3月30日、月組公演、宝塚大劇場)

運つく男/春のおどり(世界の花)(1947年5月1日 - 5月30日、月組公演、宝塚大劇場)

南の哀愁眞夏の夜の夢(1947年7月1日 - 7月30日、月組公演、宝塚大劇場)

千姫モン・パリ(1947年10月1日 - 10月30日、月組公演、宝塚大劇場)


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