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久原 躬弦
人物情報
生誕 (1856-01-05) 1856年1月5日(安政2年11月28日)
美作国津山(現・岡山県津山市)
死没 (1919-11-21) 1919年11月21日(63歳没)
国籍 日本
出身校東京大学理学部
ジョンズ・ホプキンス大学
学問
研究分野化学
研究機関東京大学
第一高等学校
京都帝国大学
学位哲学博士(ジョンズ・ホプキンス大学・1881年)
理学博士(日本・1891年)
主要な作品『立体化学要論』(1907年)
学会帝国学士院、東京化学会
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久原 躬弦(くはら みつる、1856年1月5日〈安政2年11月28日〉 - 1919年〈大正8年〉11月21日)は明治時代から大正時代にかけての日本の化学者。理学博士。
(後の日本化学会)会長、京都帝国大学理工科大学長、京都帝国大学総長。帝国学士院会員。専門は有機化学。業績にベックマン転位の研究など。1855年(安政2年)、代々津山藩の藩医を勤める久原家の9代・宗甫の息子として現在の津山市に生まれた。なお躬弦は化学者になったが、弟が医師となって父の後を継いでいる。津山藩の藩校で漢文や数学を、1868年(明治元年)からは箕作麟祥の塾で英語を学んだ後、1870年(明治3年)に全国から集められた貢進生の一人として大学南校(後の東京大学)に入学した。改組した東京大学(旧制)の理学部化学科を1877年(明治10年)12月19日に卒業し、学士(理学士)の第一号となった。なお、卒業研究では「日本の染色および捺染法」を研究している。
1878年(明治11年)4月に東京大学理学部の准助教(現在の助教)に就いた。同年には現在の日本化学会の元となる化学会を設立し、その初代会長となった。翌1879年(明治12年)、アメリカのボルチモアにあるジョンズ・ホプキンス大学に留学し、サッカリンを発見したレムセンの下で有機化学の研究を行なった。1881年(明治14年)には6月から9月までエール大学で鉱物学を学び、同年10月にジョンズ・ホプキンス大学に学位論文を提出して翌月に博士号を取得し、12月に帰国している。 帰国後、東京大学理学部の小石川植物園や博物課に勤務したのち、1884年(明治17年)に同大学の教授となった。翌1885年(明治18年)に医学部教授も兼務し、1886年(明治19年)に東京大学予備門の教諭になる。予備門の改組により第一高等中学校の教諭となった後、1889年(明治22年)に同校の教頭となる。1891年(明治24年)には帝國大学から理学博士の学位を授与され、1894年(明治27年)に第一高等中学校の校長に就任した。
帰国後