久保田 彦作(くぼた ひこさく、1846年(弘化3年) - 1898年1月3日)は、戯作者、歌舞伎作者。
5代尾上菊五郎付き作者を経て、河竹黙阿弥に師事、竹柴彦作を名乗る。1877年(明治10年)、戯作「鳥追阿松海上新話
」を刊行。1879年(明治12年)、『歌舞伎新報』主筆。1889年(明治22年)、歌舞伎座の創立に伴い立作者となるが、1897年(明治30年)、9代市川団十郎、福地桜痴との対立から3代河竹新七とともに退座。通称は竹柴幸治(次)[1]、村岡幸次。号は村子柑。3代目河竹新七、竹柴其水、竹柴繁造らと合わせ「黙阿弥門下の四天王」[1]と称された。