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出典検索?: "久保明"
1934年生まれの俳優「久保晶」とは別人です。
くぼ あきら
久保 明
『潮騒』(1954年)
本名山内 康儀(やまうち やすよし)
生年月日 (1936-12-01) 1936年12月1日(87歳)
出生地 日本 東京市江東区北砂町[注釈 1]
職業俳優
ジャンル舞台、映画、テレビドラマ
活動期間1952年 -
著名な家族山内賢(実弟)
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久保 明(くぼ あきら[出典 1]、(1936年〈昭和11年〉12月1日[出典 2] - )は、日本の俳優。本名は山内 康儀(やまうち やすよし)[4]。東京都[1][4]江東区出身。立教大学文学部卒業[注釈 2]。俳優・歌手の山内賢は実弟[7][6]。 通っていた小学校で演劇が盛んだったことから、教師の勧めで舞台のオーディションを受けて合格。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の舞台版に子役として出演[8][注釈 3]。中学時代も映画撮影所が近所に多かったことから、教育映画などにも出演[8]。 劇団創作座、劇団薔薇座を経て[9][6]、1948年に松竹と契約[9]。『鐘の鳴る丘』の映画版でスクリーンデビュー[8][6]。 1952年、東宝専属となり[9][6]、『思春期』で本格的に映画俳優の活動を開始[1][4][6]。本名での出演だったが、その後は同作品で演じた役名にちなんで「久保明」と改名[7][4]。 1954年、『潮騒』で共演した青山京子とのコンビで青春映画に連続出演[2]。『大学シリーズ』や『蜘蛛巣城』、『椿三十郎』などに出演[8]。また、ゴジラシリーズやホラー映画『マタンゴ』などの特撮映画にも出演[出典 3]。 『ウルトラマン』のハヤタ隊員役の候補にも挙がっていた[5][8]。ブームになってからはやっておけばよかったという想いも抱いたが、当時は怪獣もの専門として扱われることを嫌っていたという[8]。
来歴・人物
日本映画俳優協会理事。公益社団法人あゆみの箱の第6代理事長も中村メイコより引き継ぎ2016年の解散まで務めた[10]。
主な出演
映画
思春期(1952年、丸山誠治監督)
十代の性典(1953年、島耕二監督)
続思春期(1953年、本多猪四郎監督) - 前川敬太
潮騒(1954年、谷口千吉監督) - 新治
さらばラバウル(1954年、本多猪四郎監督) - 島田二飛曹
あんみつ姫(1954年、仲木繁夫監督) - 弓太郎
あすなろ物語(1955年、堀川弘通監督) - 鮎太
歌え!青春はりきり娘(1955年) - 中谷[11]
不良少年(1956年、谷口千吉監督) - 光一
蜘蛛巣城(1957年、黒澤明監督) - 三木義照
雪国(1957年、豊田四郎監督) - 佐一郎
大学の侍たち(1957年、青柳信雄監督) - 大久保明
青い山脈(1957年、松林宗恵監督) - 金豊六助
大学の人気者(1958年、松林宗恵監督) - 滝哲平
社長太平記(1959年、松林宗恵監督) - 社長秘書中村
大学のお姐ちゃん(1959年、杉江敏男監督) - 大久保昭
コタンの口笛(1959年、成瀬巳喜男監督) - 田沢清
大学の28人衆(1959年、青柳信雄監督) - 大森政彦
潜水艦イ-57降伏せず(1959年、松林宗恵監督) - 山野少尉[12]
日本誕生(1959年、稲垣浩監督) - 五百木之入日子命[12]