主系列星[1] (しゅけいれつせい、英: main sequence star[1]) とは、恒星の有効温度と明るさを示した図であるヘルツシュプルング・ラッセル図 (HR図) 上で、左上(明るく高温)から図の右下(暗く低温)に延びる線である主系列 (英: main sequence) に位置する恒星をいう[2]。矮星ともいう[3]。
星間物質が集まって形成された恒星では、高密度の核で水素からヘリウムを合成する核融合が始まり、熱エネルギーが生成される。恒星の一生におけるこの段階では、恒星はHR図上の主系列に位置することになる。主系列内での位置は主に恒星の質量で決まるが、化学組成と年齢にも依存する。主系列星の核は静水圧平衡の状態にあり、高温の核による外向きの熱的な圧力 (正確には圧力勾配力) と、外層の内向きの重力が釣り合っている。核融合によるエネルギー生成率は温度と圧力に強く依存しており、これがこの釣り合いを維持するのを助けている。核で生成されたエネルギーは表面へと伝達し、光球から放射される。主系列星内部でのエネルギーは放射もしくは対流によって伝達され、後者は温度勾配が急な領域か不透明度が高い領域、もしくはその両方が満たされている領域で発生する。
主系列は、恒星がエネルギーを生成する主要な過程の違いに基づいて上部と下部に分けられることもある。太陽質量の1.5倍 (1.5 M☉) より軽い恒星の中心部では、水素からヘリウムが合成される過程は主に陽子-陽子連鎖反応が占めている。この質量を超えると、水素からヘリウムを合成する過程の中間に炭素、窒素、酸素原子が関与するCNOサイクルが主となる。2太陽質量より重い主系列星では核で対流が発生し、生成されたヘリウムを撹拌し、水素核融合が発生するために必要な燃料を供給する働きを果たす。これよりも軽い主系列星では、核の外側には放射でエネルギーが運ばれる放射層が広がり、表面付近に対流層が発達する。恒星の質量が小さくなるにつれ、対流エンベロープを形成する恒星の割合は着実に増加する。0.4 M☉ 未満の主系列星は、内部全体が対流領域となる。核での対流が発生しない場合、水素の外層に囲まれたヘリウム豊富な核が発達することになる。
一般に、重い恒星ほど主系列に留まる時間は短くなる。つまり主系列星としての寿命が短くなる。恒星の核における核融合に使用可能な水素が枯渇した後、恒星はHR図上で主系列から離れ、超巨星や赤色巨星へ、あるいは直接白色矮星へと進化する。
歴史星形成領域における高温で明るいO型主系列星。これらは全て、スペクトル型が O の複数の明るい恒星を含む、多数の高温で若い恒星からなる星形成が起きている領域である[4]。縦軸に恒星の実際の明るさ (あるいは絶対等級)、横軸に色指数 (ここでは B-V) を取ったヘルツシュプルング・ラッセル図。主系列は図の左上から右下へ対角線上に走る帯として現れている。このHR図は、ヒッパルコスの観測による 22,000 個の恒星と、グリーゼ近傍恒星カタログに収録されている 1,000 個の暗い恒星 (赤色矮星と白色矮星) を図示したものである。
20世紀初頭になると、恒星の型と距離に関する情報がより容易に分かるようになった。恒星のスペクトルは独特の特徴を持つことが示され、それに基づいて恒星を分類することが可能になった。ハーバード大学天文台のアニー・ジャンプ・キャノンとエドワード・ピッカリングは、現在ではハーバード型として知られるスペクトルに基づく恒星の分類法を確立し、これは『Harvard Annals』において1901年に出版された[5]。
ポツダムでは1906年に、デンマーク人天文学者のアイナー・ヘルツシュプルングが、最も赤い部類の恒星 (ハーバード型の分類では K と M 型に分類されるもの) は2つの異なるグループに分割できることに気が付いた。これらの恒星は太陽よりずっと明るいか、あるいはずっと暗いかのどちらかであった。これらのグループを区別するため、ヘルツシュプルングは「巨星」(giant stars) と「矮星」(dwarf stars) と呼んだ。翌年、彼は星団の研究を開始した。星団では、ほぼ同じ距離に多数の恒星が集まって存在している。彼は星団内の恒星の色指数と光度を表した最初の図を発表した。その図では恒星は顕著で連続的な系列を形成しており、彼はこれを「主系列」と命名した[2]。
プリンストン大学では、ヘンリー・ノリス・ラッセルが同様の研究を継続していた。彼は恒星のスペクトル分類と、恒星までの距離の補正をかけた実際の明るさ、つまり絶対等級との間に見られる関係について研究を行っていた。この研究のため、彼は信頼できる精度で視差が測定されており、その多くがハーバード型の分類が行われていた恒星を用いた。彼はこれらの恒星のスペクトル型と絶対等級をグラフに表した際、矮星が明確な関係に従うことを発見した。これにより、矮星の真の明るさを妥当な精度で予測することが可能となった[6]。
ヘルツシュプルングによって観測された赤い恒星のうち、矮星はラッセルによって発見されたスペクトルと光度の関係に従う。しかし巨星は矮星よりも遥かに明るく、同じ関係には従わなかった。ラッセルは「巨星は低密度であるか大きな表面輝度を持っているかであるはずであり、矮星にはその逆が当てはまる」と提唱した[6]。またHR図上の曲線は、暗い白色矮星は非常にわずかしか存在していないことも示した[6]。
恒星の光度とスペクトル型を示した図をヘルツシュプルング・ラッセル図と呼んだのはベンクト・ストレームグレンであり、1933年のことであった[7]。この名称は、20世紀初頭にヘルツシュプルングとラッセルの両名がそれぞれ独立にこの技術を生み出したことを反映している[2]。
1930年代に恒星の進化モデルが発展するにつれ、一様な化学組成を持つ恒星の場合、恒星の質量とその光度、および半径の間に関係があることが分かってきた。これはすなわち、質量と組成が分かっていれば、恒星の半径と光度を一意に定める解が存在するということを意味する。この関係は、ハインリヒ・フォークトとラッセルにちなんで命名されたラッセル・フォクト定理(英語版)[8]として知られている。この定理により、恒星の化学組成とその主系列上での位置が分かっている場合、その恒星の質量と半径も分かることになる。ただし後年になって、一様ではない組成を持つ恒星の場合はこの定理が幾分か破れることが判明している[9]。