主教(しゅきょう、ギリシア語: Επ?σκοπο?, ラテン語: Episcopus, 英語: Bishop, ロシア語: Епископ)とは、正教会、聖公会における高位聖職者[注釈 2]。複数教会によって構成される教区を管轄する[1][2][3]。
カトリック教会では司教と呼ばれる[4]。「主教」は正教会に属する日本ハリストス正教会、および聖公会に属する日本聖公会などで用いられる訳語。なお朝鮮語および中国語では、カトリック教会の司教も「主教」である。ルーテル教会やメソジストでは監督と呼ばれる[5]。
2世紀初頭には既に主教職があり現代に至っているが、教派ごとにその位置付けは異なる[5]。 ブルガリア総主教マクシム。奉神礼において祭服を完装した姿。ミトラ (宝冠) をかぶり、オモフォル 正教会では職名につき主教品(しゅきょうひん)とも表記されるが[6]、個人名とセットでは記されない(「主教誰々」とは記されても、「主教品誰々」とは記されない)。 主教の職務は奉神礼の執行、教育、牧会の三つである[7]。正教会の指導は全て主教の下に行われるものであり、司祭・輔祭の奉神礼上の役割と機密執行の権限は、主教から分かち与えられたものに過ぎない。従って、主教の居ない正教会組織・教区は存在し得ない。ある教区が主教が存在しない状態に至った場合は速やかに新主教が叙聖されるか、若しくは近隣の教区の主教が当該教区を兼任して牧会に当たることになる。 主教は土地の信者と聖職者から推挙を受けて選出され、他の主教3人以上によって叙聖される[8]。しかし古代には、聖職者でない一般男性信徒が推挙されることもあった。聖職者でない者の選出の例としては、コンスタンディヌーポリ総主教フォティオスの例がある[9]。 古代には、妻帯した者が主教を務めることもあった[10]。4世紀にまとめられたとされる聖使徒規則第5条には、「主教或は司祭或は輔祭は敬虔を辞として己の妻を逐ふ可からず」(主教、司祭、輔祭は敬虔を理由として離縁・妻を追い出してはならないの意)とある[10][11]。しかし6世紀以降、祈りの中心になるのにふさわしいとされて主教の候補は修道士のみに限られるようになった[10]。ただし稀に、適任者が他に居ない場合、妻帯司祭から主教が選ばれる事もある。この場合、司祭とその妻は婚姻生活を解消し、同時に修道院に入る事が求められる。日本正教会でもかつて、ニコライ小野主教がこのケースに該当した[注釈 3]。 また、妻が永眠した司祭が修道司祭となり、その後に主教に叙聖されるケースもある。コンスタンディヌーポリ総主教イオシフ1世 奉神礼の執行時、主教品はミトラ (宝冠) をかぶり[13](ただし奉神礼中に指定された箇所ではミトラを脱ぐ)、様々な主教用の祭服を着用する[14]。権杖(ジェーズル)を手に持ち(これも奉神礼中に指定された箇所では持たず、むしろ聖体礼儀中では持たない箇所の方が多い)、足元にはオルレツ(鷲氈(しゅうせん))と呼ばれる、鷲が翼を広げて教会を中心とする街の上空を飛んでいる図柄が織られている円形の絨毯を敷く。鷲氈に描かれた街は教区を、鋭い視力を持つ鷲は教区の隅々にまで目を行き届かせ信者を導く主教の役目を表している[15]。 祭服の完装は奉神礼の特定の箇所でしか行われない。公の場では完装した祭服の状態で出るのではなく、クロブークと呼ばれる帽子を被り、リヤサと呼ばれる黒衣(稀に白い衣もある)を着用し、パナギアと呼ばれる丸い首飾りを掛けている場合が多い。クロブークは主教のみならず、修道士も着用するものである。 敬称は、日本語では、総主教には聖下(せいか)を、府主教・大主教・主教には座下(ざか)を用いる[16]。また、日常的には「主教様」等、単に「様」を使うこともある[17]。 ギリシャ語、ロシア語、英語などには、各種位階に応じて細分化された正式な敬称がある。 正教会は、全主教を基本的に機密上は対等とする[18]。総主教、府主教、大主教は自らの特定の教区より広い地域を指導・統括するが、主教の職務においては上位でも有力でもない。
教会(教派)別の詳説
東方教会
正教会
「神品 (正教会の聖職)」および「教衆」も参照
意義・役割
叙聖・妻帯の有無
服装
敬称
主教の「序列」
Size:37 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef