主の祈り
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。エルサレムにある主の祈りの教会に掲げられているギリシャ語の「主の祈り」

主の祈り(しゅのいのり、ギリシア語: Κυριακ? προσευχ?、ラテン語: Oratio Dominica または冒頭句を取って Pater Noster、英語: Lord's Prayer)は、キリスト教の最も代表的な祈祷文である。「主祷文」(しゅとうぶん)とも。日本ハリストス正教会では「天主經」(てんしゅけい、天主経)と呼ばれる。

イエス・キリスト自身が弟子たちに教えたと新約聖書に記されている祈祷文であり、キリスト教のほぼすべての教派で唱えられている。
概説

キリスト教は、神への祈りを捧げる時に唱える様々な定型文(祈祷文)を持っている教派も多い(その神学的地位、権威は教派によって異なる)が、どの文を正統な祈祷文と認めるかは教派によって異なり、またプロテスタントは定型文としての祈祷をほとんど持たないことも多い。その中で、主の祈りは唯一、イエス・キリストその人が「祈るときは…(中略)…こう祈りなさい」と言って弟子たちに与えたとされる祈祷文であり、教派によって文章や訳文の違いはあるものの、キリスト教のほとんどの教派で正統な祈祷文として認められている。新約聖書福音書)には、イエスが祈り方と祈祷文を弟子たちに教える場面が書かれている。(マタイによる福音書6章6-13、ルカによる福音書11章2-4)あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。だから、あなたがたはこう祈りなさい、

天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。 ? マタイによる福音書6章6節から13節(口語訳)
構成ウィキソースに主の祈りの原文があります。

祈祷文として用いられている文章は、おおよそ『マタイによる福音書』6章9-13に則っている。5章の「山上の説教」に続いて語られているもので、最初の3つの祈り(2 - 5行目)はと天上に関する祈り、次の3つの祈り(6 - 10行目)は人間と地上に関する祈りである。また、最後の部分(11 - 13行目)は、一種の頌栄である。

「主の祈り」の最後の頌栄部分は、伝統的なラテン語訳聖書(ヴルガータ)には書かれておらず、ヒエロニムスがヴルガータを訳した時代よりも後の時代においてギリシア語聖書の『マタイによる福音書』6章13に付け加えられたものと考えられる。このため現代一般的に読まれている聖書では、福音書にこの部分は書かれていないが[1]宗教改革期に続々と各国語に訳され出版されたルター訳ドイツ語聖書欽定訳英語聖書などでは、参照されたギリシア語聖書「テクストゥス・レセプトゥス」が中世のビザンチン写本を底本とした編纂であったため、頌栄部分が含まれた訳文が西方にも広まった[2]

カトリック以外の多くの教派では、この頌栄部分を「主の祈り」に含めて唱えているが、カトリック教会ではラテン語訳聖書(ヴルガータ)を規範としてきた伝統から、この頌栄を「主の祈り」に含めない。ただし、現行のミサ典礼文では、この頌栄に相当する文が「主の祈り」に続いて副文の結びとして唱えられる(後述)。
訳文ラテン語の「主の祈り」(グレゴリオ聖歌から) .mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}} 主の祈り グレゴリオ聖歌にあるラテン語の「主の祈り」

アラム語イエスはおもに話したといわれているが、出典である福音書の原文はギリシア語であり、その後西方教会では古くからラテン語で唱えられてきたが、英語など各国語に訳される際、教派や時代によって訳語が少しずつ違ってきた。
ラテン語訳

カトリック教会で伝統的に唱えられてきたラテン語訳文には、上述の頌栄の部分はない。1960年代に開催された「第2バチカン公会議」までは、日本を含む全世界のカトリック教会のミサなどの典礼では、このラテン語文の祈りが唱えられてきた。

Pater noster, qui es in caelis,
sanctificetur nomen tuum.
Adveniat regnum tuum.
Fiat voluntas tua sicut in caelo et in terra.
Panem nostrum quotidianum da nobis hodie,
Et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris.
Et ne nos inducas in tentationem;
sed libera nos a malo.
[Quia tuum est regnum et potentia et gloria
in saecula saeculorum.]
Amen.
英語訳
古英語版

Wessex Gospels(10?12世紀ごろ)における古英語への訳は、次のようになっている。

Fader ure tu te eart on heofonum, si tin nama gehalgod. To becume tin rice, gewurte din willa, on eordan swa swa on heofonum. Urne gedaghwamlican hlaf syle us todag, and forgyf us ure gyltas, swa swa we forgyfad urum gyltendum. And ne gelad tu us on costnunge, ac alys us of yfele. Sotlice.[3]
1611年KJV版

ジェームズ1世による欽定訳聖書における訳は以下のようになっている。[4]

Our father which art in heaven, hallowed be thy name.
Thy kingdome come. Thy will be done, in earth, as it is in heauen.
Giue vs this day our daily bread.
And forgiue vs our debts, as we forgiue our debters.
And lead vs not into temptation, but deliuer vs from euill: For thine is the kingdome, and the power, and the glory, for euer, Amen.
1988年ELLC版

 プロテスタント教会合同の現代風英語訳(Modern 1988 ELLC version)は、次のようになっている。[5]

Our Father in heaven,
hallowed be your name,
your kingdom come,
your will be done,
on earth as in heaven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins
as we forgive those who sin against us.
Save us from the time of trial
and deliver us from evil.
For the kingdom, the power, and the glory are yours
now and for ever. Amen.
1662年版英国聖公会祈祷書

1662年版英国聖公会祈祷書では、次の訳が記録されている。[5]

Our Father, which art in heaven,
hallowed be thy name;
thy kingdom come;
thy will be done,
in earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our trespasses,
as we forgive them that trespass against us.
And lead us not into temptation;
but deliver us from evil.
[For thine is the kingdom,
the power, and the glory,
for ever and ever.]
Amen.

その後の改訂で、「And forgive us our debts, as we forgive our debtors.」ともなったことがあり、このように唱える人たちも多い。なお、米国聖公会の祈祷書にある主の祈りの訳はここに記録
日本語訳
キリシタン訳

(どちいりな・きりしたん,1592)

ぱ(パ)あ(ー)て(テ)る(ル)な(ノ)う(ー)す(ス)て(テ)る(ル)
天(てん)に御座(まし)ます我(われ)等(ら)が御(おん)親(おや)御(み)名(な)を貴(たふと)まれ給(たま)へ。
御(み)代(よ)來(きた)り給(たま)へ。
天(てん)におひて御(ご)をんたあで のままなるるがごとく、地(ち)におひてもあらせ給(たま)へ。


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