丹羽秀樹
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日本政治家丹羽 秀樹にわ ひでき
文部科学副大臣内閣府副大臣に就任した際に公開された肖像
生年月日 (1972-12-20) 1972年12月20日(51歳)
出生地 愛知県春日井市
出身校玉川大学文学部
前職証券会社社員
高村正彦衆議院議員秘書
所属政党自由民主党山東派麻生派→無派閥)
称号学士
親族祖父・丹羽兵助(元労働大臣
祖父(母方)・安藤孝三(元衆議院議員)
大叔父(父方)・丹羽久章(元衆議院議員)
公式サイト ⇒丹羽ひでき?衆議院議員
衆議院議員
選挙区愛知6区
当選回数6回
在任期間2005年9月11日 - 2009年7月21日
2011年4月24日 - 現職
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丹羽 秀樹(にわ ひでき、1972年(昭和47年)12月20日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党国会対策筆頭副委員長、自由民主党愛知県支部連合会長[1]

文部科学副大臣内閣府副大臣菅義偉内閣)、文部科学副大臣(第3次安倍第3次改造内閣第4次安倍内閣)、内閣府副大臣(第3次安倍内閣)、文部科学大臣政務官第2次安倍内閣)、衆議院厚生労働委員長自民党副幹事長、自民党広報副本部長、広報戦略局長などを歴任した。

父方の祖父は元労働大臣丹羽兵助。母方の祖父は元衆議院議員の安藤孝三。父方の大叔父に元衆議院議員の丹羽久章、親戚に元知多市長の安藤嘉治アーク証券会長の安藤龍彦がいる[2]
来歴

愛知県春日井市生まれ(現住所は春日井市八田町5丁目[3][4]。1991年(平成3年)、東海高等学校を卒業し、玉川大学文学部に入学[4]

高校大学時代、父親の丹羽孝充と祖母の丹羽百合子は2度の衆院選で公選法違反で逮捕され、有罪判決を受けている。1度目は1990年(平成2年)の総選挙で、二人は丹羽兵助のために総額500万円の買収申込みを春日井市議、県議、春日井市長らに対し行った[5][6]。2度目は1993年(平成5年)の総選挙で、即位の礼特赦により公民権を回復した孝充自身が立候補。孝充は後援会幹部ら運動員計15人に総額2,550万円を渡し[7]、祖母の百合子は後援会役員4人に総額1,000万円を渡した[8]。後者の選挙による逮捕者は計29人に上がった[9]

1995年(平成7年)、玉川大学文学部卒業。アーク証券勤務を経て自由民主党衆議院議員・高村正彦の秘書を務めた[4]
愛知6区の動向、衆院選へ立候補

祖父の丹羽兵助は初当選の1955年(昭和30年)以降、地盤のない春日井市で一人ひとりにきめ細かく接し、巨大集票組織として知れわたった後援会「二八会」をつくり上げた。しかし前述のように2度に及ぶ選挙違反で丹羽ファミリーの陣営は崩壊[10]1994年(平成6年)に制定された小選挙区制度により、春日井市は旧愛知2区の北部を構成していた小牧市西春日井郡7町(現在の清須市北名古屋市豊山町の2市1町)とともに愛知6区を構成することとなったが、1996年(平成8年)10月の総選挙で自民党は春日井市議会議員の伊藤勝人(後述に登場する長谷川達也の父である長谷川武の地盤を事実上引き継ぎ2003年より2023年4月まで愛知県議会議員を務める)を擁立した。伊藤は次点で落選し、2000年(平成12年)の総選挙では自民党は公認候補を立てられずに終わる。

2003年(平成15年)、丹羽秀樹はついに衆院選立候補の意向を固めた。ところが自民党春日井市支部では元衆議院議員秘書の長谷川達也(後に令和4年5月に行われた春日井市長選挙に立候補、2023年5月より春日井市議会議員に復帰)から公認申請を受けており、内部の意見はなかなかまとまらなかった。同年8月19日、党愛知県連は犬山市長の石田芳弘に立候補を要請[11]。9月1日に石田が「市長の後継者が見つからない段階で出馬は難しい」と断りの返答をすると、党県連は9月27日、春日井市支部が決定した統一候補を公認候補として党本部に推薦することを決めた。愛知6区の他の小牧市、犬山市の両支部も春日井市支部決定の候補を全面的に応援することに同意[12]。これを受けて春日井市支部は9月28日に緊急役員会を開き、丹羽を統一候補に選んだ[13]。10月9日、自民党本部は丹羽の公認を決定[14]。10月21日、自民党県連は長谷川を比例単独とする方針を固めた[15]

同年10月27日、自民党・公明党・保守新党の連立与党3党は名古屋市内のホテルで合同選対会議を開き、3党間の選挙協力を確認した。しかし愛知6区では丹羽と、愛知4区から国替えした保守新党の元職の三沢淳の調整がつかず分裂選挙となった。自民党は三沢に与党空白区である愛知11区(支部長であった山中Y子の後任が決まらず土井真樹の擁立が決まる前の時期)へ移ることを働き掛けるが奏功せず、県連幹部は「保守新党という小さな政党に、9区10区の二つも譲ったのに見返りがない」と強い不満を漏らした。公明党は「片方だけをやることはできない」と静観を決め込んだ[16]。11月9日、第43回衆議院議員総選挙執行。民主党現職の前田雄吉が再選を果たした。丹羽は次点で落選し比例復活もかなわなかった。三沢も落選。比例東海ブロック単独32位で立候補した長谷川[17]も落選した。
初当選以後2017年8月7日撮影。一番左下の人物が丹羽。

2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙で前田を破り初当選した(前田も比例東海ブロックで復活)。総選挙後、2005年(平成17年)初当選の新人議員で結成された83会(会長:土屋正忠会長)に所属[要出典]。

2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では、民主党公認で元犬山市長の石田芳弘に6万票超の大差で敗れ、比例復活もならず落選。


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