丹生川上神社
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この項目では、丹生川上神社(中社)について説明しています。丹生川上神社の上社については「丹生川上神社上社」を、下社については「丹生川上神社下社」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。

丹生川上神社


拝殿
所在地奈良県吉野郡東吉野村大字小968
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度23分25.1秒 東経135度59分10.8秒 / 北緯34.390306度 東経135.986333度 / 34.390306; 135.986333 (丹生川上神社)座標: 北緯34度23分25.1秒 東経135度59分10.8秒 / 北緯34.390306度 東経135.986333度 / 34.390306; 135.986333 (丹生川上神社)
主祭神罔象女神
社格式内社名神大
二十二社(下八社)
官幣大社
別表神社
創建(伝)白鳳4年(675年
本殿の様式三間社流造檜皮葺
札所等神仏霊場巡拝の道41番(奈良28番)
例祭10月16日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}丹生川上神社
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丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡東吉野村にある神社式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
社名について

古くは「雨師明神」と称され、江戸時代からは「蟻通明神」とも称された。

大正以降、吉野郡川上村丹生川上神社上社・同下市町丹生川上神社下社に対して「丹生川上神社中社」とも称されるようになったが、これは上下2社が既に存在したために、これを「中」としたもので、位置関係や社格の上下を表すものではない。
祭神

本殿と東殿・西殿の3殿に、以下の神々を祀る[1]

本殿:罔象女神

相殿伊邪奈岐命伊邪奈美命


東殿:大日?貴命八意思兼命誉田別命

西殿:開化天皇上筒男神大国主命事代主命綿津見神菅原道真公

六国史では、「丹生川(河)上神」と地名を以て記され、具体的な神名を表すものはないが、古来朝野の祈止雨祈願がしばしば行われ、雨を司る水神であったので、これを記紀神話に見える罔象女神(みずはのめのかみ)や?神(おかみのかみ)に充てるようになった。また平安時代初め頃から「雨師神」とも称されるようになったが[2]、雨師とは風伯と並ぶ古代中国の雨乞いの神なので、これは唐風文化への傾倒による神名であることは明らかである[3]。また、祈雨祈願の際には黒馬が、止雨の時には白馬(または青馬)が奉献される例であったが、これはを水神乃至はそれと密接な動物と見る観念に基づくものであり[4]、また馬の色は、雨雲と黒、晴天と白という観念連合に基づく類感呪術であろう[5]

現在の祭神は、大正11年(1922年)にそれまでの「大穴貴神・表筒男命・伊邪奈伎命」を変更したものである。
歴史

社伝に因れば、鎮座地は神武天皇東征の際に、天神の教示により天神地祇を祀り、戦勝を占った地である[6]。具体的には、神武は天香具山の土で作った平瓮と厳瓮を川に沈めさせ、椎根津?に川魚の様子を観察させ、(水銀)の鉱脈があることを知り、500の真榊で諸神を祀り、国を平定することにした。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}而勅之曰「宜汝二人 到天香山 潛取其巓土 而可來旋矣。基業成否、當以汝爲占。努力愼歟。」・・・時、椎根津?、見而奏之。天皇大喜、乃拔取丹生川上之 五百箇 眞坂樹、以祭諸神。—日本書紀

白鳳4年(675年)に罔象女神を御手濯(みたらし)川(高見川)南岸の現摂社丹生神社の地に奉斎し、その後現在地に遷座したものと伝えるが、寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)には、当時の丹生川上神社の禰宜を引き、『名神本紀』という書に「『人声の聞こえない深山で我を祀れば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めよう』との神託により創祀した」との伝えがあることを記してる[7]吉田兼倶撰といわれる『二十二社注式』には、天武天皇の白鳳乙亥年(4年)に垂迹し、大和神社の別宮になったと記されているので、吉野と浅からぬ関係にあった同天皇によって創祀されたものとされている[8]。古来大和神社(天理市鎮座)の別社とされ[9]、祈止雨の霊験著しい雨師神として、朝廷から重んじられ、763年より応仁の乱の頃までに雨乞い、雨止めの奉幣祈願が96度されたと記録にみられ[10]宝亀4年 (773年)には神戸4烟が充てられている(『続日本紀』)。律令制時代を通じて祈雨神祭祭神に預かり、祈止雨祈願のために貴布禰社とともに奉幣がなされた例は枚挙に遑がないが、その折には奉幣使に大和神社の神主が従う定めとされていた[11]。『延喜式神名帳』では官幣大社(名神大社)に列格し、律令制の弛緩に際しても、二十二社の1社にもなるなど朝廷からの厚い崇敬は変わらなかったが、次第に奉幣も減少するなど衰微していき、応仁の乱以降は、ついにその所在すら不明となるに至った。なお、社伝では中世以降たびたび造改築されたことが伝えられており、当神社所蔵の慶安3年(1650年)の造営の上梁文には、当初の鎮座地に丹生神社を新造するとともに、本社を金剛峯寺鎮守神に倣って「蟻通明神」と改称した旨が記されている。

近世以降『神名帳』の研究が盛んになり、特に式内社の所在地が問題とされるようになると、まず丹生川上神社下社が式内大社丹生川上神社に比定され、次いで明治に入って上社が比定されたが、大正4年(1915年)に森口奈良吉が『丹生川上神社考』を著し、明治以降郷社に列していた当神社が式内丹生川上神社であることを考証し、その後の調査でそれが立証されたため、同11年に社名を「蟻通神社」から「丹生川上神社」に改称、上下2社に対して「中社」を称するとともに、3社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」として社務所が置かれるなど、当神社がその中心に位置づけられた。


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