丹生川上神社下社
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この項目では、丹生川上神社下社について説明しています。丹生川上神社の中社については「丹生川上神社」を、上社については「丹生川上神社上社」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。

丹生川上神社下社


鳥居と拝殿
所在地奈良県吉野郡下市町長谷1-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度18分22秒 東経135度48分12秒 / 北緯34.30611度 東経135.80333度 / 34.30611; 135.80333 (丹生川上神社下社)座標: 北緯34度18分22秒 東経135度48分12秒 / 北緯34.30611度 東経135.80333度 / 34.30611; 135.80333 (丹生川上神社下社)
主祭神闇?神
社格式内社名神大論社
二十二社(下八社)論社
官幣大社
別表神社
創建不詳
本殿の様式三間社流造銅板葺
別名丹生大明神
札所等神仏霊場巡拝の道奈良第29番(2018年夏から)
例祭6月1日
主な神事太鼓(古)踊り
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丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)は、奈良県吉野郡下市町長谷(ながたに)にある神社式内社名神大社)及び二十二社(下八社)の論社旧社格官幣大社[1]で、現在は神社本庁別表神社

社名は川上村丹生川上神社上社に対するものである。
祭神

闇?神 (くらおかみのかみ)

以前は高?神であったが、大正時代に祭神の変更があり、現在の祭神となった。なお、祭神は「丹生大明神」で、丹生都比売神社和歌山県伊都郡かつらぎ町)の祭神である丹生都比売神のことであるとする説もある。
歴史

上古の由緒は不詳で、土地の古老の伝えに、丹生社の鳥居が洪水によって流されてきたので、それを拾って神体として祀ったのが創祀であるという[2]が、当神社背後の丹生山山頂に、祭祀遺跡と思しき矩形の石群があること、また、社前を流れる丹生川流域には丹生神社が点在すること、かつては付近に、御酒井・五色井・吹分井・御食井・祈願井・御手洗井・罔象女井・降臨井・鍛人井といった多くの井戸が湧出していたことなどから、古くからの水神信仰があった可能性もある。

江戸時代前期以降、式内社の所在地についての考証が盛んになると、「式内大社 丹生川上神社」については当時「丹生大明神」と称していた当神社に比定する説が有力となった[3]。その後、朝廷幕府においてもこれを認めるようになり、宝永7年(1710年)に中御門天皇勅使が差遣されたのを始め、時には祈雨奉幣がなされ、また嘉永6年(1853年)に黒船が来航すると、翌7年に孝明天皇が当神社に宣旨を下して国家安泰を祈願し、文久2年(1862年)には攘夷を祈願するなど、二十二社の1社として遇された。文久3年(1863年)、天誅組の蜂起が起きると、橋本若狭や中井越前という当神社社家の者がこれに参画したため、討伐軍の兵火により本殿が罹災するとともに、拝殿や社務所などが焼失した。

明治4年(1871年)に、官幣大社に列したが、同6年に、当時の少宮司江藤正澄が、当神社の鎮座地は寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所引)「応禁制大和国丹生川上雨師神社界地事」に記す丹生川上神社の四至境域に合致しないことを指摘して、当時の高?神社(現上社)を式内丹生川上神社に比定し、翌明治7年には当神社を「口の宮」と称すとともに、高?神社を「奥の宮」と称してこれを所轄するようになった。その後江藤説が認められて、明治29年(1896年)に当神社を「丹生川上神社下社」、奥の宮を「同上社」と改称し、2社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」とされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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