丹東市
[Wikipedia|▼Menu]

中華人民共和国 遼寧省 丹東市
鴨緑江断橋中朝友誼橋鴨緑江断橋中朝友誼橋
旧称:安東
遼寧省中の丹東市の位置遼寧省中の丹東市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度07分33.32秒 東経124度22分43.49秒 / 北緯40.1259222度 東経124.3787472度 / 40.1259222; 124.3787472
簡体字丹?
繁体字丹東
.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}?音D?nd?ng
カタカナ転写タントン
国家 中華人民共和国
遼寧
行政級別地級市
建置1876年
改称1965年
市党書記葛海鷹
市長孫志浩
面積
総面積15,030 km²
人口
総人口(2015)241.1 万人
人口密度157.7 人/km²
経済
電話番号0415
郵便番号118000
ナンバープレート遼F
行政区画代碼210600
市樹イチョウ(1984年3月)
市花ツツジ(1984年3月)
公式ウェブサイト: ⇒http://www.dandong.gov.cn/

丹東市(たんとう-し)は、中華人民共和国遼寧省南部に位置する地級市鴨緑江を隔てて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する国境の街である。旧名は安東。朝鮮族が約2万人居住している。中朝貿易最大の物流拠点であり、その7割以上がここを通過すると言われている[1]
地理

北は遼寧省本渓市、西は鞍山市大連市と接し、東は鴨緑江を隔てて北朝鮮新義州特別行政区と対する。鴨緑江には中朝友好橋が架かる。南は西朝鮮湾である。
歴史

古代には高句麗の領域であり、の高句麗征服後は安東都護府に属した。代に婆速府路となり、代にも婆娑府が置かれた。朝は満洲での漢人入植を禁止する封禁政策を取ったが、1874年に全面的に解禁し、1876年に安東県を設置した。

安東港は1903年に対外開港し、鴨緑江水運の発達により流域の物資集散地として発展した。1931年満洲事変が勃発すると直ちに日本軍占領され、満洲国1934年安東省を新設、安東県を省城とした。1937年安東県は安東市に昇格している。この時代には多数の日本企業が安東に進出した。1945年日本降伏後は中国共産党軍接収し、朝鮮戦争(1950年 - 1953年)では中国人民義勇軍兵站前線となった。1965年安東市は丹東市に改称された。

2010年8月21日、鴨緑江上流における集中豪雨のため河川が氾濫。5万人以上が避難した事が伝えられた[2]
行政区画

3市轄区・2県級市・1自治県を管轄する。

市轄区:

振興区元宝区振安区


県級市:

東港市鳳城市


自治県:

寛甸満族自治県

丹東市の地図
12振安区寛甸満族自治県東港市鳳城市1. 元宝区2. 振興区

年表

この節の出典[3]
遼東省安東市

1949年10月1日 -
中華人民共和国遼東省安東市が発足。金湯区・元宝区・中央区・鎮興区鎮安区・浪頭区・五龍背区・九連城区が成立。(8区)

1950年8月2日 (3区)

金湯区が五龍背区に編入。

元宝区・中央区・鎮興区が浪頭区に編入。

鎮安区が九連城区に編入。


1951年9月13日 - 市内行政区域の再編により、一区から八区までの区が成立。(8区)

1953年 - 四区の一部が分立し、九区が発足。(9区)

1954年6月19日 - 遼東省の分割により、遼寧省安東市となる。

遼寧省安東市

1954年12月13日 - 一区が金湯区に、二区が元宝区に、三区が中央区に、四区が鎮興区に、五区が鎮安区に、六区が浪頭区に、七区が五龍背区に、八区が九連城区に、九区が湯池区にそれぞれ改称。(9区)

1955年9月2日 (7区)

鎮安区が五龍背区に編入。

中央区が湯池区に編入。


1955年5月23日 - 九連城区の一部が安東専区安東県に編入。(7区)

1956年6月22日 (5区)

九連城区が五龍背区に編入。

湯池区が浪頭区に編入。


1957年12月3日 (3区)

金湯区が元宝区に編入。

浪頭区・五龍背区が合併し、郊区が発足。


1958年12月20日 - 安東専区安東県・鳳城県・寛甸県・岫巖県を編入。(3区4県)

1959年8月2日 - 元宝区の一部が分立し、金湯区が発足。(4区4県)

1960年3月29日 - 金湯区が元宝区に編入。(3区4県)

1965年1月20日 - 安東市が丹東市に改称。

安東専区

1955年11月11日 - 荘河県・岫巖県・安東県・寛甸県・鳳城県・桓仁県を編入。安東専区が成立。(6県)

1955年5月23日 - 安東市九連城区の一部が安東県に編入。(6県)

1956年6月22日 -
本渓市本渓県を編入。(7県)

1956年6月30日 - 本渓県が本渓市に編入。(6県)

1958年12月20日

荘河県が旅大市に編入。

安東県・鳳城県・寛甸県・岫巖県が安東市に編入。

桓仁県が本渓市に編入。


遼寧省丹東市

1965年1月20日 - 安東市が丹東市に改称。(3区4県)

安東県が
東溝県に改称。


1965年2月26日 - 鎮興区が振興区に改称。(3区4県)

1965年12月27日 - 旅大市荘河県を編入。(3区5県)

1966年1月27日 - 本渓市桓仁県を編入。(3区6県)

1968年12月26日 (3区4県)

荘河県が旅大市に編入。

桓仁県が本渓市に編入。


1980年3月8日 - 郊区が振安区に改称。(3区4県)

1984年11月28日 - 東溝県の一部が振安区に編入。(3区4県)

1985年1月17日 (3区2県2自治県)

岫巖県が自治県に移行し、岫巖満族自治県となる。

鳳城県が自治県に移行し、鳳城満族自治県となる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef