丹後ちりめん回廊
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丹後地方の玄関口・与謝峠から見下ろした加悦谷(与謝野町)

丹後ちりめん回廊(たんごちりめんかいろう)は、京都府北部の丹後地方の伝統産業であるちりめん産業と、それをとりまく文化、史跡、産物等48項目で構成された文化財の総称。

2017年4月、文化庁により、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー「日本遺産」に認定された[1][2]。京都府内では、「日本茶800年の歴史散歩」「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」に続いて3件目の認定となった。
経緯

当初、京都府天橋立の日本遺産認定を目指していたが、2年連続で落選。そこで、3年目の申請では丹後半島全域に範囲を広げ、300年の歴史がある伝統産業の「丹後ちりめん」を主軸に「丹後ちりめん回廊」としてストーリーを構成し、申請を行った。

国内で流通する着物地のおよそ6割を生産している丹後地方は、全国屈指の絹織物産地である。登録では、日本の和装文化を支える丹後ちりめんのほか、ちりめん問屋の街並みや旧家、工場などの建物群、丹後ちりめんの出荷に利用された旧加悦鉄道の2号機関車、民謡や特産品の菓子など、丹後地方の文化、史跡、産物などが総合的に評価された[3][4][5]
構成文化財一覧
全域

丹後ちりめん … 1720年(享保5年)に、峰山の絹屋佐平治が京都西陣から門外不出とされたお召ちりめんの技術を秘かに学びとり、故郷に持ち帰って改良したのが発祥とされる。一方、1722年(享保7年)には、加悦谷の手米屋小右衛門、山本屋佐兵衛、木綿屋六右衛門が3人で協力してやはり西陣から技術を持ち帰っているが、絹屋佐平治との関連はなく、加悦谷の丹後ちりめんはこちらが発祥である。この4人が、丹後ちりめんの創業者とされている。

八丁撚糸機(はっちょうねんしき) … 丹後ちりめん最大の特徴である「シボ」(細かい凸凹)を生み出すため、水を注ぎながら生糸に撚(よ)りを掛ける機具[6]。全国にも類のない丹後地方独自の撚糸機であるといわれる。最大の特徴は、上部の大きな太鼓型ドラムと下の小さな糸管との円周差により、上のドラム一回転で下の糸管が高速で50周以上回転するところにある。絹糸は水に濡れると強度が増す特徴があるため、水をかけながらこの撚糸機にかけることにより、生糸1メートルあたり3000 - 4000回の強い撚りをかけ、シボのもととなる緯糸を作り出すことができる。

丹後ばら寿司(ばらずし) … 焼きのおぼろを用いるのが特徴の郷土料理[7]。現在では、サバ缶を用いて調理するのが一般的となっている。丹後地方では、一般に「ばらずし」と称する。


丹後ちりめんの後染め織物の布地(ジャカード織)

八丁撚糸機(丹後ちりめん歴史館 展示)

丹後ばら寿司

京丹後市(旧峰山町・旧大宮町・旧網野町・旧丹後町・旧弥栄町・旧久美浜町).mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:登録箇所の画像提供をお願いします。(2019年7月)

京丹後市では、発祥の地である旧峰山町をはじめ4町の文化財が登録された[8]

?(あしぎぬ)の碑 … 奈良県正倉院に、739年(天平11年)に丹後地方から送られた?が保存されていることから建てられた顕彰碑。丹後ちりめんの発展を祈願する顕彰祭が行われる。(弥栄町鳥取)

禅定寺(ぜんじょうじ) … 絹屋佐平治によって最初に織られた丹後ちりめん「縮み布」が奉納され、現在も保管されている。(峰山町小西)

常立寺(じょうりゅうじ) … 丹後ちりめんの創業者・絹屋佐平治(のちの森田治郎兵衛)の墓碑があり、現在もその功績をたたえる慰霊祭が行われる。(峰山町吉原)

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ) … 丹後ちりめんの繁栄で支えられた峰山藩の藩主・京極家が創建した。広大な神域と多くの社殿群を有し、境内にある神社のひとつ木島神社(このしまじんじゃ)には、養蚕の大敵であるネズミを退治する狛猫が置かれ、全国的に見ても珍しいものとされている。(峰山町泉)

丹後織物工業組合中央加工場 … 当初は精錬前に出荷していた丹後ちりめんだが、昭和初期になって地元で精練と検査を行う国練(くにねり)検査制度が始まり、以後、精練・検品を経て丹後ちりめんとして出荷している工場。(大宮町河辺)

足米(あしよね)機業場 … 昭和初期の織物工場特有の、ノコギリ型の三角屋根の建物が残る。(網野町島津)

網野・弥栄の機屋の町並み … 丹後ちりめんは、ごく近年まで多くが一般の住宅にきわめて小規模な機場を併設した家内工業的な形態で生産され、その技術は親から子へと伝えられてきた。網野町浅茂川や弥栄町和田野地区には、こうした機屋(はたや)が点在している。

丹後ちりめん小唄 … 1935年(昭和10年)に、丹後ちりめんの宣伝用に創作された。お座敷唄としても唄われる。


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