丹下 郁太郎(たんげ いくたろう、1899年〈明治32年〉3月2日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。咸鏡南道知事、京畿道知事。朝鮮総督府警務局長。建築家の丹下健三は弟(異母)[2][3][4]。 丹下辰世の長男として愛媛県越智郡今治町(現今治市)に生まれる[1]。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科に合格[5]。1922年(大正11年)東京帝国大学経済学部を卒業し、旭石油を経て[5]、朝鮮総督府に奉職[1]。京畿道、忠清北道各勤務、全羅北道警務課長、咸鏡南道、平安北道各警察部長、朝鮮総督府警務局保安課長、総督官房資源課長、企画部第一課長兼総督官房資源課長を経て[1]、1941年(昭和16年)6月、咸鏡南道知事に就任した[6]。1942年(昭和17年)4月、京畿道知事となり[6]、同年7月、朝鮮総督府警務局長に就任した[1]。1944年(昭和19年)退官[5]。
経歴
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮66頁.
^ 明珍昇『評伝安西冬衛』桜楓社、1974年、27頁。
^ 八木信雄『日本と韓国』日韓文化協会、1978年、211頁。
^ 愛媛県立図書館 (2020年6月24日). “丹下郁太郎(今治出身)関連資料、特に戦後の資料はあるか。
^ a b c 秦 1981, 506頁.
^ a b 日本官界情報社 1942, タ64頁.
参考文献
日本官界情報社 編『日本官界名鑑 昭和17年版』日本官界情報社、1942年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271159