丸岡明
誕生1907年6月29日
東京市
死没 (1968-08-24) 1968年8月24日(61歳没)
職業小説家
国籍 日本
デビュー作マダム・マルタンの涙
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丸岡 明(まるおか あきら、1907年6月29日 - 1968年8月24日)は、日本の小説家。 東京市麹町にて、落合直文門下の歌人で能楽書林を設立した丸岡桂の長男として生まれる。祖父は沖縄・高知の県知事を務めた丸岡莞爾[1]。暁星中学校から慶應義塾予科を経て、慶應義塾大学仏文科卒。在学中、水上滝太郎の知遇を得て1930年に『三田文学』に「マダム・マルタンの涙」を発表してデビューした。のち堀辰雄に師事し、1935年「生きものの記録」を『三田文学』に発表する。 1966年「静かな影絵」「街の灯」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。『堀辰雄全集』編纂委員を務めた。能の解説、編集も多く、原民喜をモデルとした『贋きりすと』などを書いた。 弟は能楽書林社長となった丸岡大二
略歴
妻は旧姓・山川美耶子で、ドイツ文学者・山川幸雄と歌人・山川柳子
の娘。夭折の女学生の遺稿集「薔薇は生きてる」で話題になった山川弥千枝は妻の妹にあたる[2]。