この項目では、山形県鶴岡市(旧出羽国)にある城について説明しています。福井県丸岡町(旧越前国)にあった城については「丸岡城」をご覧ください。
logo丸岡城
(山形県)
城郭構造連郭式平山城
築城主武藤氏?
築城年鎌倉時代?
主な城主武藤氏、上杉氏、最上氏
廃城年1615年(元和元年)
遺構土塁、堀
指定文化財県指定史跡
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度40分52.4秒 東経139度49分53.9秒 / 北緯38.681222度 東経139.831639度 / 38.681222; 139.831639
丸岡城(まるおかじょう)は、山形県鶴岡市丸岡にあった日本の城。県指定史跡[1]。 庄内と内陸部を結ぶ六十里越街道沿いの要地にある城で、鎌倉時代よりこの地方を支配する武藤氏の支城がおかれていた。 武藤氏のあと上杉氏、最上氏と領主が変わるが、元和元年(1615年)の一国一城令により取り壊された。のち最上氏が改易され、元和8年(1622年)に酒井氏の領地となった。 寛永九年(1632年)に熊本藩主加藤忠広が改易となり、酒井氏に預けられた際、酒井氏はこの城に忠広の居館などを造り居住させた。忠広没後は幕府直轄領となる。 現在は、南側の一部は宅地となり、他はほとんど畑になっている。 城跡の広さは2ヘクタール。遺構は、土塁や堀などである。
歴史・沿革
考古資料
遺構
脚註^ ⇒「丸岡城跡及び加藤清正墓碑」『山形の宝・検索ナビ』山形県教育庁文化財・生涯学習課公式HP
関連項目
日本の城一覧