まるやま まさお
丸山 正雄
2011年1月頃の丸山
別名義朝木 夢二(あさき ゆめじ)
生年月日 (1941-06-19) 1941年6月19日(82歳)
出生地 日本・宮城県塩竈市
職業アニメーションプロデューサー、映画プロデューサー
ジャンルアニメーション
活動期間1965年 -
主な作品
アニメーション映画
『獣兵衛忍風帖』(制作プロデューサー)
『PERFECT BLUE』(制作プロデューサー)
『千年女優』(企画)
『東京ゴッドファーザーズ』(企画)
『パプリカ』(企画)
『時をかける少女』(企画)
『サマーウォーズ』(企画)
『マイマイ新子と千年の魔法』(企画)
『この世界の片隅に』(企画)
テレビアニメ
『YAWARA!』(プロデューサー)
『MONSTER』(プロデューサー)
『はじめの一歩』(プロデューサー)
『花田少年史』(プロデューサー)
『NANA』(プロデューサー)
『DEATH NOTE』(プロデューサー)
『逆境無頼カイジ』(企画)
『ちはやふる』(クリエイティブプロデューサー)
受賞
藤本賞
2003年『東京ゴッドファーザーズ』
2016年『この世界の片隅に』ヨコハマ映画祭
最優秀作品賞
2016年『この世界の片隅に』
テンプレートを表示
丸山 正雄(まるやま まさお、1941年6月19日 - )は、日本のアニメーションプロデューサー[1]。元・株式会社マッドハウス取締役社長、現・MAPPA代表取締役会長、スタジオM2代表取締役社長[1][2]。
2002年に第7回アニメーション神戸特別賞[3][4]、2003年に第23回藤本賞奨励賞をそれぞれ受賞した[3][5]。 法政大学文学部を卒業後、やりたいことが見付からずに1年ほどフリーターのようなことをしていたが、知人の紹介で1965年に虫プロダクション(旧虫プロ)にアニメの会社とは知らずに入社する[6][7][注 1]。 1972年、経営危機を迎えた虫プロから出崎統、りんたろう、川尻善昭ら、その後の日本のアニメ文化を牽引することになる作り手たちと共に独立して有限会社マッド・ハウス(現:株式会社マッドハウス)を設立、1980年には代表取締役社長に就任する[6][8][注 2]。以降、数多くのOVAやテレビシリーズ、劇場作品の企画・プロデュースを手掛ける。 1993年公開の川尻善昭監督の映画『獣兵衛忍風帖』が、北米で『Ninja Scroll』というタイトルでビデオ発売され、50万本近い売上を記録するヒットとなった[9][10][注 3]。 1998年公開の今敏監督の映画『パーフェクトブルー』が、日本公開に先駆けて海外の映画祭などで上映され、各地で称賛を浴びる[12]。様々な賞を受賞し、世界21ヶ国での販売ライセンスを獲得した[12]。 2002年公開の今敏監督の映画『千年女優』が、ドリームワークスにより世界配給される[13]。 2006年、今敏監督の映画『パプリカ』が公開され、第63回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品される[13]。同年、細田守監督の東映アニメーション独立後初の映画『時をかける少女』が公開される[8][注 4]。原作者の筒井康隆から『パプリカ』映像化の許諾を受けた時、同時に『時をかける少女』の許可も得ていた丸山は、細田がスタジオジブリの『ハウルの動く城』の監督を降板して東映に出戻ったすぐ後から彼に監督をさせようと接触していた[14][15][16]。 2010年8月14日、今敏が急逝する[13]。丸山は『パプリカ』公開後から今監督の次の映画『夢見る機械』の準備を進めていたが、これによって制作は中断したままとなっている[17][18]。今の死後、4?5年ほどは他の監督に引き継いでもらって完成させることを考えていたが、資金集めが上手く行かずにプロジェクトは中断。その後は資金の問題よりも「誰が今敏の才能を引き継ぐことができるか」という問題に直面し、やめることを決断した[19][20]。 2011年6月にマッドハウスを退職すると、70歳にして阿佐ヶ谷に新たなアニメ制作会社・MAPPAを設立する[2][8]。もともとはマッドハウス時代に担当した片渕監督の『マイマイ新子と千年の魔法』の後で次の作品として企画されていたのを引き継いだもので、設立当初からスタジオには、片渕須直監督作『この世界の片隅に』の制作ルームが置かれていた[2][8]。
来歴