丸山ダム
左岸所在地岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸所在地岐阜県加茂郡八百津町八百津
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度28分08秒 東経137度10分20秒 / 北緯35.46889度 東経137.17222度 / 35.46889; 137.17222
丸山ダム(まるやまダム)は、岐阜県加茂郡八百津町と可児郡御嵩町にまたがる、一級河川・木曽川本流中流部[1]に建設されたダムである。
国土交通省中部地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、高さ98.2メートルの重力式コンクリートダム。木曽川の洪水調節と関西電力による水力発電を目的とした木曽川総合開発事業の中心事業として建設され、2021年(令和3年)からは特定多目的ダム法に基づく特定多目的ダムとなった[2][3]。日本初の高さ100メートル級ダムであり、かつ日本最初の本格的な機械化工法で建設された、日本のダムの歴史に刻まれるダムである[4]。1980年(昭和55年)より20.2メートルのかさ上げを行い機能を強化するダム再開発事業・新丸山ダムの建設が進められており、2029年(令和11年)の完成により水没する[5][6]。ダムによって形成された人造湖は丸山蘇水湖と呼ばれ、ダムと共に飛騨木曽川国定公園に指定されている[7]。
地理岐阜市丸山ダム 岐阜県内における丸山ダムの位置。
木曽川は長野県木曽郡木祖村、標高2,446メートルの鉢盛山を水源として木曽谷を南西方向に流れ、岐阜県中津川市付近で流路を西に向けた後美濃加茂市で水系最大の支流・飛騨川を合わせ、愛知県犬山市と岐阜県各務原市の境付近で濃尾平野に出る。その後南西方向から南に流路を変え、揖斐川・長良川と共に木曽三川が並ぶように流れて伊勢湾に注ぐ。流路延長は227キロメートル、流域面積は長野県・岐阜県・愛知県・三重県・滋賀県の5県にまたがり9,100平方キロメートルと日本の河川では第5位の規模を有する。東海三県の重要な水資源であると同時に古くから数多の水害をもたらし、宝暦治水など間断なく治水事業が行われてきた河川でもある[8]。
木曽川本流は上流から味噌川ダム、読書ダム、山口ダム、落合ダム、大井ダム、笠置ダム、丸山ダム、兼山ダム、今渡ダムと9カ所のダムが建設されており、丸山ダムは下流から三番目に建設されたダムである。このうち洪水調節目的を持つ多目的ダムは丸山ダムと独立行政法人水資源機構が管理する味噌川ダムの2つであり、残りは全て関西電力が管理する水力発電専用ダムである[9]。ダムは「木曽三川三十六景」に数えられる景勝地・蘇水峡[10]に建設された。
なお、同名のダムが兵庫県西宮市の武庫川水系船坂川(丸山ダム)[11]、大分県豊後高田市の桂川水系丸山川[12]にも建設されている。また山口県宇部市の厚東川水系薬師川には宇部丸山ダムがあり、別名が丸山ダムである[13]。 丸山ダムは当初水力発電用ダムとして計画されたが、戦後治水目的が追加されて多目的ダムとなった。本項では多目的ダム化までの経緯について述べる。 木曽川本流における最初の水力発電所は、1911年(明治44年)11月に名古屋電灯により運転を開始した八百津発電所であるが、木曽川の水力発電事業を牽引したのは福澤桃介率いる大同電力であった。1919年(大正8年)賤母発電所の運転を開始させた木曽電気製鉄が大阪送電・日本水力と合併して誕生した大同電力は、積極的に水路式発電所の建設を進めたが、1924年(大正13年)12月に当時日本最大規模のダム式発電所である大井発電所(大井ダム)を完成させた。続いて大井ダム上流に1926年(大正15年)12月落合発電所(落合ダム)を建設し、以後電力需要の増大に対応するため貯水池を有するダム式発電所による水力発電開発を推進した[14][15][16]。
経緯
丸山発電所計画丸山発電所計画に着手する前の、大同電力による木曽川水力発電事業の経緯と発電所位置図。