この項目では、関係者の実名は記述しないでください。記述した場合、削除の方針ケースB-2により緊急削除の対象となります。出典に実名が含まれている場合は、その部分を伏字(○○)などに差し替えてください。
丸子実業高校バレーボール部員自殺事件(まるこじつぎょうこうこう バレーボールぶいん じさつじけん)とは、長野県丸子町(現・上田市)の長野県丸子実業高等学校(現・長野県丸子修学館高等学校)に通っていた当時1年生の男子生徒が、2005年(平成17年)12月6日に自宅で自殺した事件。生徒の自殺の原因が当時所属していたバレーボール部でのいじめにあったとして生徒の母親とバレーボール部関係者の間で争われた。生徒の母親は、いじめを苦に自殺したとしてバレーボール部員等に損害賠償を求めて提訴したが、バレーボール部員等も生徒の母親に精神的苦痛を受けたとして逆提訴。2009年(平成21年)3月6日、長野地方裁判所の判決では、生徒の母親の主張は認められず、生徒の母親がバレーボール部員等に損害賠償を支払うように命じた。生徒の母親は判決を不服として、3月12日に東京高等裁判所に控訴したが、同年10月14日付で控訴を取下げたため、長野地方裁判所の判決が確定した。 生徒は中学2年の頃から声帯に異常をきたし、声がかすれ気味で大きな声が出せない状況だった。生徒はクラブの応援練習で大きな声を出せないことや、授業で指名されたときに教科書を音読できないことなどを気にかけていた。 生徒は2005年に丸子実業高校に入学し、バレーボール部に入部。バレーボール部の上級生が生徒の声真似をしたり、上級生からハンガーで殴られたりするなど、部内でいじめられるようになった。そのことが原因で生徒は不登校気味になり、また病院でうつ病と診断された。 このような事態に対して生徒の母親と学校側と長野県教育委員会が話し合いを続けていた。その過程で生徒は「バレーボール部の上級生からいじめられている」とした手紙を、学校と長野県教育委員会に提出した。しかし話し合いは平行線をたどった。生徒の家族の支援者によると、話し合いの際にバレーボール部顧問は「ふざけるな馬鹿野郎」などと生徒の母親に対して大声で怒鳴ったとされている。また、生徒は2005年10月10日には、上級生からハンガーで殴られた暴力事件について警察に被害届を出した。 生徒の出席日数不足を理由に「このままでは進級できない」という状況も考えられるようになり、学校側がその旨を通知した直後、生徒は自殺した。生徒の母親は、バレーボール部の上級生からいじめられたことを苦にしたメモを残したと主張した。 一方、生徒は自殺する前何度も家出を試みており、そのたびに母親は学校に捜索を依頼。家出を担任の責任と主張、大量のビラを作らせたり校長や教頭に謝罪を求めるなどしていた。また家事全般を生徒がしなくてはならないため学校に来ることが難しく、担任の面談に「学校に来たいし部活もしたい」と答えていた。生徒に対する虐待、ネグレクトが疑われ、県教育委員会や児童相談所が母子分離措置を計画していた矢先の自殺だった[1]。 生徒の母親は3度の離婚歴があり、職場、所属したママさんバレーボールチームなど行く先々でトラブルを起こしていた。我が子である生徒を幼少期より半ば育児放棄し「死ね」と罵倒し続けていた[2]。 この事件は全国ネットのテレビニュースやワイドショーでも報じられた、自殺した生徒の母親は自宅に入ったテレビカメラの前で実名を名乗り、素顔も晒して取材に答えている。 乱れた字で書かれた遺書には、「お母さんがねたので死にます」と書かれていたという。そして、丸子実業高校校長はマスメディアの取材に対し自殺の原因は学校ではなく母親側に問題があるとの認識を示し、「物まねということがですね、いじめであれば、もう世の中じゅういろんな行為がですね、いじめにされてしまうんじゃないかなというような、ただそれには不満なんだよね」と付け加えた。校長の発言がニュースやワイドショーで報じられると全国から丸子実業に抗議の電話が殺到した[3]。しかし、ノンフィクション作家の福田ますみはこれらがマスメディアと母親によるミスリードであったとしている。福田の取材では母親には虚言癖があり学校関係者、母親の夫からその虚言内容が伝えられている[4]。 学校側は「いじめと認識していない」という立場をとった。またバレーボール部の保護者会は自殺事件直後の2005年12月8日に記者会見を開き、「いじめられた側がそう思うのであれば認めなければならない」とは発言したものの、全体としては生徒へのいじめはなかったとの見解を示した。バレーボール部関係者らは生徒の遺書に書かれていた、「お母さんがねたので死にます」の筆跡に着目。「ねた」(寝た)という字が「やだ」(嫌だ)と読めるのではないかと疑問を呈した。実際、生徒が住んでいた佐久地方では、「やだかった」「やだから」といった言い方を多用し、事実、生徒自身が綴ったと思われるメモには、「やだかった」という言葉が何回も登場していた[5]。
経緯
マスメディアの取材
自殺事件後の状況
Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef