丸の内_(名古屋市)
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丸の内
町丁
丸の内のオフィス街と三の丸の官庁街
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度10分30.86秒 東経136度54分5.46秒 / 北緯35.1752389度 東経136.9015167度 / 35.1752389; 136.9015167
日本
都道府県 愛知県
市町村 名古屋市
中区
東区
町名制定[1]1966年昭和41年)3月30日
人口(2019年(平成31年)2月1日現在)[WEB 1]
 ? 合計7,031人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号460-0002[WEB 2]
市外局番052 (名古屋MA)[WEB 3]
ナンバープレート名古屋

丸の内(まるのうち)は、愛知県名古屋市中区および東区の町名。名古屋のビジネス街、官庁街である。住居表示実施により新しく設置された町丁で、現行行政地名は中区丸の内一丁目から丸の内三丁目と東区丸の内三丁目。全域住居表示実施済み。[WEB 4]

丸の内地区の大部分が中区が管轄しているが、ごく僅かに東区が丸の内三丁目の一部を管轄している。東区丸の内三丁目の地域は道路・河川・鉄道等用地である為、人は住んでいない。
概要

丸の内は名古屋城の南側にあり、町域は東を久屋大通、西を堀川、南を桜通、北を外堀通で囲まれている。そしてそれらを挟んで、西は西区中村区那古野、東は東区、北は三の丸、南はと接している。丸の内一丁目は堀川伏見通を東西の境とした地区、丸の内二丁目は伏見通本町通を東西の境とした地区、丸の内三丁目は本町通久屋大通を東西の境とした地区である。西に名駅、南に錦三丁目)・[注 1]、名古屋を代表する繁華街を抱える地区に隣接している。

町丁としては1966年(昭和41年)3月の住居表示実施により設置されたが、町域としては江戸時代初期の清洲越しによる名古屋開府にまで遡ることができる。

清須越しの際に丸の内地区はを碁盤目状に整備され、現在までそれらが維持されている。現在でや名古屋東照宮那古野神社のように江戸期尾張藩時代からの町域であることを示す施設も一部現存している。

現在の丸の内は、北側に名古屋の官庁街である三の丸地区があることも影響し、代表的な官庁街・金融街・ビジネス街の1つとなっている。

太平洋戦争後の名古屋市の復興計画実施により、地域内に幹線道路(伏見通大津通外堀通桜通久屋大通)が整備されることになり、幹線道路の道路幅が拡張された。また久屋大通100m道路として中央分離帯に久屋大通公園が整備されることになった。

外堀通直上には名古屋高速都心環状線が整備され高速道路の出入口(丸の内出口/丸の内入口*入口は北側に隣接する三の丸地区に所在する。)が伏見通に設置され、そこから東名高速道路名神高速道路へ直接アクセスできるようになっている。

また幹線道路直下に地下鉄名城線鶴舞線桜通線が建設され丸の内駅久屋大通駅が地区内設置され、名古屋駅栄駅金山駅など主要ターミナル駅へ、容易にアクセスできる。

丸の内地区は高層マンションの建設が進行しており、2023年愛知県で住みたい街ランキングでは3位になっているなど人口も住宅用物件も増えている。[2]
歴史名古屋東照宮東区丸の内三丁目。外堀通の一部分である。画像上部は名古屋高速都心環状線。

この地域が町としての発展を始めたのは、徳川家康の命による清洲越しが1610年(慶長15年)に始まってからである。同年ないしは翌年とされる[3]堀川の開削により資材運搬が容易になったこともあり、当地域を始めとする清洲越しの町割は数年のうちに名古屋台地の上に形成されていった。当地域には清洲越しにより清須から移ってきた豪商らが店を並べていたとされている[3]

清須越しで移ってき河内屋文左衛門(かわちやぶんざえもん)が魚の棚通で開業した魚屋である河内屋は、その後河文となり、400年を過ぎた今でも当地で経営を続けている。

また本町通は名古屋一の繁華街であった。松坂屋の前身である伊藤呉服店の本店などが軒を連ねていた。

1660年(万治3年)の大火により当地域も被害を受けたが、防災面の観点から道幅の拡張へとつながったりもしている[4]

明治期に入り、1876年(明治9年)には名古屋城内三の丸にあった三之丸東照宮(現在の名古屋東照宮)と天王社(現在の那古野神社)が名古屋鎮台設置に伴い当地域に遷座された。太平洋戦争時には空襲により当地域も甚大な被害を受け、戦後の名古屋市の復興計画により区画整理が行われた。1966年には後述の通り当地域にて住居表示が行われている。

名古屋を代表するビジネス街として、1973年(昭和48年)のタキヒヨー丸の内ビル建設を始めに企業による大規模ビルの建設が当地域で多く見られる。


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