このページへのWP:PRIRDR用リダイレクトは「丸の内 (千代田区)
」です。この項目では、東京都千代田区の地名について説明しています。その他の用法については「丸の内 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 東京都 > 千代田区 > 丸の内
丸の内 (千代田区)
町丁
日比谷濠から望む丸の内の高層ビル群
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}丸の内 (千代田区)丸の内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分53.3秒 東経139度45分57.4秒 / 北緯35.681472度 東経139.765944度 / 35.681472; 139.765944
国 日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域麹町地域
面積
? 合計0.808200 km2
標高3.4 m
人口(2024年(令和6年)4月1日現在)[1]
? 合計10人
? 密度12人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号100-0005[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート品川
丸の内の位置
※座標・標高は、東京駅丸の内中央口(丸の内一丁目9-1)付近
丸の内(まるのうち)は、東京都千代田区の町名。隣接する千代田区大手町・有楽町、中央区八重洲・日本橋・京橋とともに、日本最大のビジネス街を構成している。広義では東京駅の西側一帯を指し、駅東側一帯の八重洲と対比される。現行行政区画は丸の内一丁目から丸の内三丁目。住居表示実施済みの地域。郵便番号は100-0005[2]。
概要鳥取藩屋敷表門 江戸時代の丸の内の貴重な遺構 上野公園に移築
旧麹町区に当たる麹町地域内である。西は千代田区皇居外苑、北は同区大手町、南は同区有楽町・日比谷、東は中央区(銀座・八重洲)との境界に当たる。およそ皇居外苑と東京駅に挟まれた地区で、北に隣接する大手町や南に隣接する有楽町(日比谷)と共に日本屈指のオフィス街・超高層ビル街として発展し、東京の中心業務地区(CBD)として機能している。大手銀行(メガバンク)の本店や大企業の本社ビルが建ち並び、日本の金融・経済の中心地の一つとなっている。三菱財閥総帥岩崎弥之助率いる「三菱社」が国から払い下げを受けた約10万坪の草地であったことから明治期には「三菱ケ原」と呼ばれ[4]、三菱が広大な荒地をロンドンのシティを模範とした大規模なビジネス街として開発していった[5]。そういった歴史的経緯から三菱グループ(旧三菱財閥)各社の本社が集中し、「三菱村」とも呼ばれている[6][7][8]。特に三菱グループの御三家といわれる三菱UFJ銀行、三菱商事、三菱重工業の本社は全て丸の内に位置している[8]。現在でも三菱地所が丸の内一帯に30棟ものオフィスビルを所有しており、俗に「丸の内の大家」とも言われている[9]。
丸の内一丁目には日本の中央駅である東京駅が位置している。多数の在来線・新幹線の起点となっており、東京を代表するターミナル駅である。 赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したものであり、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。丸の内駅舎は太平洋戦争中の東京大空襲により被災したが、2012年に完全に元の姿に復元された。
丸の内二丁目の明治安田生命保険相互会社本社本館(明治生命館)は国の重要文化財に指定されている。帝国劇場(帝劇)もこの地区にある。1991年に新宿区西新宿二丁目に移転するまで東京都庁舎も丸の内に所在していた(都庁跡地は現在の東京国際フォーラム)。都庁の一部があった場所を含め、東海道線の線路の東側にも丸の内に属する部分が一部存在する。
マンションなどの住宅や終夜営業の飲食店・居酒屋や商業施設が殆ど無いため、昼間人口と夜間人口の差が極端なのが特徴[10]。平日昼間はサラリーマンやOLで賑わうが、深夜は行き交う人も疎らである。2000年代初頭までは昼間であっても週末・祝日は閑散としていたが、低層部に商業店舗が多く入居する丸の内ビルディング(丸ビル)が2002年に完成して以降は再開発が進み[11]、平日夜の早い時間帯や休日の人通りが大幅に増えた。サラリーマン関係のニュースが報道される際、東京駅丸の内北口から多くのサラリーマンが歩いているニュース映像が流れることが多い。朝の気象情報では東京駅近辺の映像が流れるが、これは住友不動産丸の内ビルから撮影しているものである。
山手線西側の新宿副都心(西新宿)などが台頭し、1997年8月3日に「漂流するオフィスビル超一等地――黄昏の街、丸の内」という特集が『日本経済新聞』夕刊9面[12]で報じられるなど、かつては地盤沈下が指摘された。