この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "串田孫一"
串田 孫一1959年ごろ
人物情報
生誕 (1915-11-12) 1915年11月12日
日本・東京府東京市芝区
死没2005年7月8日(2005-07-08)(89歳)
日本・東京都小金井市
出身校東京帝国大学
子供串田和美(俳優・演出家)、串田光弘(グラフィックデザイナー)
学問
研究分野哲学
研究機関上智大学・旧制東京高等学校・東京外国語大学
テンプレートを表示
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。 1915年、東京市芝区生まれ。駿河台や永田町や一番町に育つ。暁星中学校で学び、中学時代から登山を始めた。1932年、旧制東京高等学校文科丙類に入学し、1935年に卒業[1]。東京帝国大学文学部哲学科で学び、1938年に卒業した。同1938年には、処女短編集『白椿』を刊行した。 卒業後は、上智大学で教鞭をとる。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓し、『歴程』同人となる。旧制東京高等学校で教鞭をとり、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。また矢内原伊作や宇佐見英治らが創刊した文芸誌『同時代』にも同人として参加。東京外国語大学教授を務めたが、1965年に退官。1965年から1994年まで、FMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティを務めた。 2005年7月8日に老衰のため東京都小金井市の自宅で89歳で死去[2]。戒名は豊徳院孫誉文岳哲道居士[3]。 著作は山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる。詩集『羊飼の時計』(1953)、『山のパンセ』などが主著。
経歴
受賞・栄典
1980年:紫綬褒章を受章。
詩人、随筆家として
「初見靖一」の筆名をもつ。
サインを求められたとき本名の音をもじって「九四○五一」と書くことがあった。
家族・親族
父:串田萬蔵は三菱銀行会長。
母:フミは今村繁三の姉[4]。
妻は旧侯爵・佐々木行忠の長女・美枝子[5]。
長男:串田和美は俳優・演出家。
次男:串田光弘
著書
『乖離 或は名宛のない手紙』私家版 1937
『萍』初見靖一 十文字屋書店 1940
『牧歌』初見靖一 冬至書林 1941
『懐疑』理想社(哲学問題論叢) 1942
『仏蘭西哲学雑記帳』風間書房 1942
『永遠の沈黙 パスカル小論』新府書房 1946
『パスカル瞑想録評釈』夏目書店 1947
『仏蘭西哲学研究理性の微笑』平和書房 1948
『快楽と幻想』夏目書店 1948
『幸福を求めて』実業之日本社 1948
『苦悩と思索』角川書店 1949
『モンテェニュ素描』土羊社 1949
『学生の哲学』山海堂 1950