中銀カプセルタワービル
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中銀カプセルタワービル

情報
用途集合住宅
設計者黒川紀章建築・都市設計事務所[1]
構造設計者松井源吾、ORS事務所[1]
施工大成建設[1]
管理運営中銀ハウジング[2]
構造形式SRC造一部S[1]
敷地面積441.89 m² [1]
建築面積429.51 m² [1]
延床面積3,091.23 m² [1]
状態解体
階数A棟地上13階、B棟地上11階地下1階[1]
高さ42.13m[1]
竣工1972年[1]
解体2022年[3]
所在地104-0061
東京都中央区銀座8-16-10[4]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分56.62秒 東経139度45分48.402秒 / 北緯35.6657278度 東経139.76344500度 / 35.6657278; 139.76344500 (中銀カプセルタワービル)座標: 北緯35度39分56.62秒 東経139度45分48.402秒 / 北緯35.6657278度 東経139.76344500度 / 35.6657278; 139.76344500 (中銀カプセルタワービル)
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中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)は、黒川紀章が建築設計した集合住宅である。2本の主柱に合わせて140個のカプセル型居住空間が取り付けられ、単身者向けの都心のセカンドハウスとしてデザインされた[5]。一方、利用者のニーズにより事務所としても活用された[6]。1972年(昭和47年)、東京都中央区銀座で竣工し、老朽化により2022年に解体された[1][3]。世界で初めて実用化されたカプセル建築であることに加えメタボリズムの象徴的建築であり、黒川紀章の代表的作品であった[7][8]
歴史
依頼設計者の黒川紀章、文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真

施主は中銀マンシオンの渡辺酉蔵[9]。渡辺は貸しビルの案件を担当したことをきっかけに弁護士から不動産業に転身し、中央区銀座から名前を取った中銀建物と中銀マンシオンという2つの会社の社長をしていた[9][10][11]。アメリカ旅行でセカンドハウスに触発された渡辺は別荘の民主化を提唱し、別荘が作りや値段において一般的な住宅と同様の売られ方をしていた時代に、大衆に手が届きやすいものを提供しようとしていた[12]

一方、建築運動・メタボリズムグループの中で、最低限の機能のみで構成された居住空間「カプセル」という手法に強い関心を持っていたのが黒川紀章だった[13][14]。黒川は機能を分割したカプセルを組み合わせた「カプセル建築」で建築を捉え直し、メタボリズムの生命の原理、代謝といった考え方を表現しようとした[15][16]。カプセル建築のプロトタイプである、黒川の設計による大阪万博の「空中テーマ館」や「タカラ・ビューティリオン」に感心した渡辺は、新しく建築予定だった銀座8丁目のマンションの設計を黒川に依頼することにした[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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