中野車両基地
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中野車両基地周辺の空中写真(2019年11月撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

中野車両基地(なかのしゃりょうきち)は、東京都中野区弥生町五丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)の車両基地および車両工場の総称である。車両基地の中野検車区(なかのけんしゃく、北緯35度41分8秒 東経139度39分48秒座標: 北緯35度41分8秒 東経139度39分48秒)、車両工場の中野工場(なかのこうじょう、北緯35度41分14秒 東経139度39分52秒)から構成される。丸ノ内線銀座線の車両が所属している。最寄駅は中野富士見町駅
概要

本車両基地用地は、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)設立直後の1944年昭和19年)に、当時の地下鉄4号線[1]城西方面への延伸を予想して、中野富士見町地区に用地を確保していたものである[2][3]

以前の当用地は神田川沿いの湿田地畑地荒地であり、何度も水害に見舞われていて、1938年(昭和13年)9月の台風で大きな被害を被ったことを機として、中野土地区画整理組合によって土地区画整理事業が施行されていた土地であった[2]。こうした中にあって、4号線用の車両基地用地を検討していた営団地下鉄によって、当用地がその車両基地用地として買収されるに至った[2]。こうした事情を反映して、「新宿付近」とされていた地下鉄4号線の始点は、戦後の1946年(昭和21年)に策定された「戦災復興院告示第252号」において「中野区富士見町」と訂正されている。ただしその後、中央線の混雑緩和を目的として、4号線本線の始点は国鉄荻窪駅に変更されることになり、当地へつながる路線は支線として、方南町を始点とすることとなった[4]

小石川検車区は2011年(平成23年)4月に中野検車区に組織統合され、同区は中野検車区小石川分室となった[5][6]

丸ノ内線分岐線とは中野富士見町駅から単線の入出庫線で繋がっている。この入出庫線の途中には50 の急勾配がある[7]。本車両基地の西側の地下には丸ノ内線分岐線のトンネルが通っている[7]
銀座線車両の保守

営団地下鉄では銀座線において上野渋谷に設置されていた車両基地は用地が狭く、その後の車両運用面において大きく不便を強いられていた[3]。本車両基地は銀座線・丸ノ内線の将来の車両動向を総合的に判断し、計画されたものである[8][3]。既存の小石川車両基地(当時)だけでは収容能力に限界があることや[3]、銀座線においては上野と渋谷の工場を廃止して中野工場に統合することで、それらの車両基地を拡張させて留置能力を向上させた[8][3]
中野検車区中野検車区の丸ノ内線

1961年(昭和36年)2月に留置能力180両として中野検車区が発足した。丸ノ内線全車両の月検査と車両清掃を担当しているほか、銀座線車両の車輪転削も行っている。本検車区は収容数に余裕があり、銀座線の上野・渋谷各検車区の大規模改良工事時には収容数が不足したため、同線用の車両の夜間留置にも使用されたことがある。

検車区設備は構内の西南寄りに位置し、6両編成3本が収容可能な検車庫・小修理場・検車区事務所で構成している[9][3]

敷地面積:55,388m2(中野工場を含む全体[2]) 車両留置能力:168両 
配置車両

2000系 312両 6両52編成
全編成とも配置されている。2019年7月5日より02系本線用と同様、本線の他に支線の方南町まで運転開始。

02系 6両 6両1編成
2024年3月31日をもって運用から離脱した。2000系置き換え前は本線用6両53編成、支線用3両6編成の336両全車が配置されていた。現在は第01編成のみが動態保存されている。

2000系
(2022年7月1日 後楽園駅

02系B修繕施工車
(2020年11月17日 四ツ谷駅

02系原型車
(2022年7月1日 後楽園駅

中野工場銀座線1000系と丸ノ内線02系

1961年(昭和36年)9月に中野工場が発足した。発足以来、小石川工場と、それぞれで工場業務を分担してきた。1971年(昭和46年)5月には小石川工場は本工場に組織統合され、中野工場小石川分場とした[8]。旧中野工場設備は整備工場、車体・塗装工場、台車・車輪工場の3棟で構成していた[9]
近代化工事

1983年(昭和58年)9月に銀座線に01系が投入され[10]、近い将来丸ノ内線においても車両の置き換えを予定したことから[10]、この時点で銀座線・丸ノ内線の車両基地の再整備を実施することを決定した[10]。このため、本工場は1985年度(昭和60年度)から1988年度(昭和63年度)にかけて工場建屋の全面的な建て替えをはじめとした近代化工事を実施した[10]。主な工事内容は以下のとおりで、工費は37億円ともなった[10]
廃車処理場兼モーターカー庫新築

事務所兼電機機器職場新築(地上5階建て)

旧事務所、機器職場棟撤去

旧整備室撤去

車体職場棟増築

台車職場棟増築

整備室新築

完成後の1989年平成元年)4月には小石川分場を廃止し、銀座線と丸ノ内線車両の重要部検査・全般検査は全て本工場で受け持つことになった[10]。そして、小石川分場は銀座線・丸ノ内線車両の更新修繕を施工する工場となり、1991年(平成3年)12月には中野工場小石川CRと名称変更された。なお、2011年(平成23年)時点では車両工事所小石川CRに名称変更されている[5]
検査担当車両
銀座線


1000系電車

丸ノ内線


2000系電車

歴史
発足 - 1971年(昭和46年)5月まで


丸ノ内線車両330両中126両の全般・重要部検査を施工
[8](残る204両は小石川工場で施工[8])。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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