中部電力_(1930-1937)
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中部電力株式会社種類株式会社
略称中電
本社所在地 愛知県岡崎市籠田町16番地
設立1930年(昭和5年)2月15日[1]
解散1937年(昭和12年)9月29日[2]
東邦電力と合併し解散)
業種電気
事業内容電気供給事業
歴代社長杉浦銀蔵(1930 - 1933年)
中西四郎(1933 - 1934年)
高石弁治(1934 - 1936年)
杉浦英一(1936 - 1937年)
藍川清成(会長・1934 - 1937年)
公称資本金4635万円
払込資本金3864万9000円
株式数旧株:41万3600株(額面50円払込済)
新株:51万3400株(35円払込)
総資産5280万5891円(未払込資本金除く)
収入545万1762円
支出342万4420円
純利益202万7342円
配当率年率8.0%
株主数3370人
主要株主東邦電力 (29.5%)、岡崎証券 (6.9%)、妻木電気 (5.4%)、杉浦商店 (3.6%)、金城証券 (2.4%)
決算期3月末・9月末(年2回)
特記事項:資本金以下は1937年3月期決算時点[3]
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中部電力株式会社(ちゅうぶでんりょく かぶしきがいしゃ)は、昭和初期に存在した日本の電力会社である。愛知県岡崎市に本社を置き、愛知県三河地方を中心に電気を供給した。

1930年(昭和5年)設立。1897年(明治30年)に開業した岡崎の電力会社岡崎電灯株式会社(岡崎電燈、おかざきでんとう)と東邦電力の事業の一部、それに岐阜県に存在した同名の中部電力(旧・多治見電灯所)を統合し、愛知・岐阜・静岡の3県に供給区域を広げた。1937年(昭和12年)に東邦電力と合併して消滅した。

1951年発足の中部電力の管内に存在した事業者であるが直接的な繋がりはない。同社と区別するためにしばしば「中部電力(岡崎)」と表記される。
概要

中部電力株式会社(以下、必要に応じて「中部電力(岡崎)」と記す)は、1930年代の愛知県岡崎市に存在した電力会社である。その供給区域は県東部の三河地方を中心に、それに接する静岡県遠州地方西部や岐阜県東濃地方にもまたがる。1930年(昭和5年)に、岡崎市にあった岡崎電灯と豊橋市を中心に供給した東邦電力豊橋営業所(旧・豊橋電気)、東濃の多治見にあった中部電力(旧・多治見電灯所。以下「中部電力(多治見)」と記す)の3つを統合し成立した。

3つの前身のうち、元々岡崎市にあり西三河を中心に電気の供給にあたっていたのが岡崎電灯株式会社である。豊橋電気に続く三河地方では2番目、愛知県内では4番目の電気事業者として1897年(明治30年)7月に開業した。電源は開業時から水力発電を採用しており、最初の岩津発電所は愛知県下で初めて成功を収めた水力発電所でもある。創業者は岡崎の実業家3名で、中でも杉浦銀蔵の家は中部電力時代に至るまで3代にわたり会社経営にあたっている。当初は合資会社組織であったが、1907年(明治40年)に株式会社へ転換を果たし、以後会社の規模を拡大していった。

1910年代末の大戦景気期末期には需要増加に発電力増強が追従せず岡崎電灯管内の西三河地方では深刻な電力不足が発生し、他の電力会社の西三河進出を許した。しかし積極的な電源開発の末に1920年代半ばには電力不足を解消し、反転攻勢に出て東三河や静岡県での大口需要家獲得に成功する。さらに岐阜県にも進出し、合名会社組織のまま経営されていた多治見電灯所と提携、これを中部電力(多治見)に改組させて傘下に収めた。こうして1920年代まで岡崎電灯は独立を維持したものの、やがて名古屋市名古屋電灯から発展した中京地方の大手電力会社東邦電力との統合問題が現出した。

東邦電力と岡崎電灯の統合問題は、旧名古屋電灯と豊橋電気の合併から4年経った1925年(大正14年)に初めて発生した。この時は社内で合併反対論が優勢となり合併実行に至らなかったが、両社間の電力連系が1920年代末に強化されると潮目が変わり、1930年(昭和5年)に統合実施の運びとなった。統合方法は手続き上の都合から複雑なものとなり、東邦電力の出資による新会社・中部電力(岡崎)が東邦電力豊橋営業所管内の事業(旧・豊橋電気区域)を譲り受けた上で岡崎電灯を吸収合併する、という形が採られた。中部電力(岡崎)は岡崎電灯傘下の中部電力(多治見)もあわせて合併し、1930年8月発足に至った。

発足後の中部電力(岡崎)では大型紡績レーヨン工場の三河進出を背景に供給成績を伸ばしつつ、岡崎電灯時代から電力購入先であった発電会社2社を合併するなど事業規模を拡大していく。しかし1930年代後半になって電力国家管理政策が具体化される中で親会社東邦電力が電力会社の地域的統合に舵を切ったことから、1937年(昭和12年)8月東邦電力へと吸収合併され、発足から7年で消滅した。その東邦電力も1942年(昭和17年)に解散しており、中部電力(岡崎)が供給していた地域はその後の再編を経て1951年(昭和26年)以降中部電力の営業区域の一部となっている。
岡崎電灯の沿革

以下、岡崎電灯の沿革について、中部電力(岡崎)との合併に至る経緯を除いて記述する。
合資会社設立と創業者

日本で最初の電気事業者である東京電灯1886年(明治19年)に開業してから4年目の1889年(明治22年)、愛知県名古屋市において名古屋電灯が開業し中部地方においても電灯供給事業が出現する[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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