中部日本放送放送劇団
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劇団CBC第1期生栗谷俊男は同局のアナウンサーとして活躍した(1952年)。

中部日本放送放送劇団(ちゅうぶにっぽんほうそうほうそうげきだん)は、かつて存在した日本の劇団である[1]。通称劇団CBC(げきだんシービーシー)[1]中部日本放送が開局にあたり結成、1951年(昭和26年)9月1日、日本初の民間放送としてラジオ放送の際も含め、同局の黎明期に大きな役割を果たした[1][2]。団員の身分は社員かあるいは社員に準じたものであった[1]。アナウンサーのほか、多く俳優、声優を輩出した。
略歴

1950年12月15日 -
中部日本放送[3]設立[2]、同劇団結成[1]

同年後半 - 1951年 - 第1期生を採用


1951年9月1日 - 同局がラジオ放送[4]を開始(日本の民放第1号)[2]

1952年4月 - 第2期生を採用

1953年4月 - 第3期生を採用、同年7月入団

1956年12月1日 - 同局がテレビ放送[5]を開始[2]

1958年5月 - 第4期生を採用

1960年4月 - 第5期生を採用

1997年 - 最後の団員の定年退職により消滅[1]

概要

1950年(昭和25年)12月15日、中部日本放送が設立され[2]、NHK以外の民間放送局によるラジオ放送の準備に入るにあたり、同劇団を結成、その団員の募集を行った[1]。第1期生として採用されたのは、NHK東京放送劇団出身の大村一平(1929年 - 1992年)[6]、NHK長野放送劇団出身の柳有(1923年 - 2004年)[7]今泉洋(1928年 - 2002年)[8]、のちに同局のアナウンサーに転向した栗谷俊男、女優として活動した井川則子[9]、中村嘉奈子[10]らがいた[1]。第1期生の採用は一律ではなく、翌1951年(昭和26年)に採用された者もいたが、浦野光(1931年 - 2018)のように第1期採用に不合格し、本放送開始後の1952年(昭和27年)4月に第2期生として採用された者もあった[1][11]

1951年9月1日、同局がラジオ放送を開始[2]、当日、同劇団は放送劇『忘れ物』や『愛の贈り物』のほか、日本初の民間放送開始当日のプログラムのさまざまな番組に関わった[1]。第2期の採用は前述の通り1952年春に行われ、浦野のほか、万代泰輔が採用されたことがわかっている[1]


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