中部大学
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この項目では、日本の私立大学について説明しています。韓国の私立大学については「中部大学校」をご覧ください。

中部学院大学」とは異なります。

中部大学


大学設置1964年
創立1938年
学校種別私立
設置者学校法人中部大学
本部所在地愛知県春日井市松本町1200
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度16分26.4秒 東経137度0分49.5秒 / 北緯35.274000度 東経137.013750度 / 35.274000; 137.013750座標: 北緯35度16分26.4秒 東経137度0分49.5秒 / 北緯35.274000度 東経137.013750度 / 35.274000; 137.013750
キャンパス春日井キャンパス(愛知県春日井市松本町)
名古屋キャンパス(愛知県名古屋市中区
中部大学研修センター(岐阜県恵那市
学部工学部
応用生物学部
人文学部
国際関係学部
経営情報学部
生命健康科学部
現代教育学部
研究科工学研究科
応用生物学研究科
国際人間学研究科
経営情報学研究科
生命健康科学研究科
ウェブサイトhttps://www.chubu.ac.jp/
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中部大学(ちゅうぶだいがく、英語: Chubu University)は、愛知県春日井市松本町1200に本部を置く日本私立大学である。1938年創立、1964年大学設置。大学の略称は中部大。 中部大学 不言実行館.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}中部大学中部大学 (愛知県)
概観 中部大学(春日井キャンパスの全景) 正門 中部大学 名古屋キャンパス
大学全体

中部大学は、1938年に設立された名古屋第一工学校をルーツ[1]とし、1964年に中部工業大学[2]として創設された。工学部を中心に発展した大学であるが、1984年以降、文系を含む多彩な学部が開設され、現在は7学部の総合大学となり、学部学生数は約11,000人。[3]このうち、毎年200人を越える学生を海外の大学等へ派遣している。[4]中部大学の教育は、緑に囲まれた春日井市の丘陵に位置するワンキャンパスで行われており、多分野の学生が交流し、就職の面倒見の良いことでも知られる。

研究面では、各学部を網羅する大学院(6研究科)を設置するほか、中部高等学術研究所、総合工学研究所、分子性触媒研究センター、藤原洋記念超伝導・持続可能エネルギー研究センター、薄膜研究センター、エネルギー変換化学研究センターなど20の研究所等を設置している。[5]自然科学系研究レベルを示す Nature Index 2016 Japan では、全機関中73位、私立大学中14位、東海地区の全大学中5位であった。また、中部高等学術研究所にはUNESCOのESD (Education for Sustainable Development)の国際地域拠点「中部」(代表:飯吉厚夫理事長)の事務局が置かれ、また、国際GISセンターは、 米国航空宇宙局NASAとディジタルアースの共同研究を行うなど、国際連携活動が盛んである。

スポーツでは、ハンドボール部、剣道部は毎年全国大会に出場し、ハンドボールは2014年に全日本学生ハンドボール選手権大会で優勝している。硬式野球部は2017年6月現在、2度の全国大会に出場しており、プロ野球選手を何人も輩出している。人工芝の全天候型グラウンドで400mx6コースの本格的トラックを持ち、4階建ての武道体育館が新装なるなど、体育施設が非常に充実している。

地域との連携においては、2013年から文部科学省のプロジェクトCOC「地(知)の拠点整備事業」に採択され、高齢化している高蔵寺ニュータウンや春日井市と連携して6つのプロジェクトを進めている。[6]中部大学音楽祭やキャンパスコンサートなど音楽イベントの実施なども展開している。生涯学習として、一般の人でも大学生と一緒に講義を聴くことができるオープンカレッジも実施している。公開講座では、小中学生対象の「ジュニアセミナー」や実技講座の「サテライトカレッジ」を実施している。
建学の精神

中部大学の建学の精神は、「不言実行 あてになる人間」である[7]
新設学科・研究組織

ロボット理工学科が2014年に発足した。ロボット理工学科では、AIを駆使して近未来社会の主役となるロボットを学び、語学教育センターと協同して英語コミュニケーションを重視する教育を行っている。

航空産業の世界3大生産基地の一角を占めるようになった中部の航空産業を背景に、宇宙航空学科が2018年に予定されて、イノベーションを先取りした学問編成と教育システムの充実を進めている。

2016年には、創発学術院が発足した。特別招聘教授に松沢哲郎(京都大学高等研究院 特別教授、動物心理学者・霊長類学者、文化功労者)、森重文(京都大学高等研究院院長 特別教授、フィールズ賞受賞者)を擁している。
専任教授陣

理事長・総長の飯吉厚夫は、90年代の日欧米の核融合方式競争の日本研究プロジェクトチームのリーダーで、文部科学省直轄研である核融合科学研究所の初代所長を務めた。学長の石原修もプラズマ物理の著名な研究者でIEEEライフフェローであり、アメリカで25年教鞭をとった国際派である。また、2017年3月まで学長を務めた山下興亜は、蚕の生糸研究者でルイ・パスツール賞、中日文化賞、紫綬褒章、国際昆虫学賞などの受賞者である。

中部大学総合工学研究所には、日本化学会会長を務める山本尚教授(有機化学者、藤原賞、ロジャー・アダムス賞等の受賞者)や澤本光男教授(高分子化学者、ベンジャミン・フランクリン賞等の受賞者)、世界交通学会会長を務め、ローマクラブ正会員100名の1人でもある林良嗣教授(持続的交通・都市論)、成田吉徳教授(人工光合成、分子触媒化学、生物無機化学)らを擁し、中部高等学術研究所には、安藤隆穂教授(思想史・社会哲学、日本学士院賞の受賞者)、河村公隆教授(大気化学、地球化学、国際地球化学会フェロー)などの教授陣を揃えている。[8]

藤原記念超伝導・持続可能エネルギー研究センター(所長:山口作太郎教授)は、5cmのコイル(それを包む冷却用パイプが直径30cm)で100万kWh(原子力発電所1基に相当)を大規模な送電線インフラを敷設することなく輸送できる直流超伝導の世界No.1の技術を誇っている。2015年には実験室のみでなく石狩市で全長1.5kmの実証実験に成功しており、2017年7月に石狩市で開催された国際セミナーには、ロシアフランスインド中国韓国などの電力会社が参加している。
客員教授陣

松浦晃一郎(元UNESCO事務局長、国際政治)、アレキサンダー・リコタール(ローマクラブ・フルメンバー、ソ連ゴルバチョフ政権の報道官でペレストロイカの推進者の一人)、チモシー・フォースマン(アル・ゴア元米副大統領提唱のディジタルアースを推進したNASA主任研究官)、細川昌彦(元経済産業省、国際経済産業論)、武田邦彦(資源材料工学)などの客員教授を擁する。
教員数

教員数は551人(2019年5月1日時点)である[9]
学部卒業者数

2018年度3月23日付学部卒業者数は2,346人(2019年3月31日時点)である。卒業率は92%(2019年3月31日時点)[10]
沿革

1938年昭和13年) - 名古屋第一工学校(現・中部大学第一高等学校)の設置認可。三浦学園が創立される。創立者は名古屋高等工業学校教授だった三浦幸平

1939年(昭和14年) - 名古屋第一工学校開校。電気工学科、機械工学科、応用化学科を設置。初代校長は眞嶋正市。

1941年(昭和16年) - 教室・実習場の不足により、名古屋市中区老松町(現・中区新栄)に分教場を設置。

三浦幸平の像1944年(昭和19年)7月 - 名古屋第一工学校第二代校長に三浦幸平就任[11]

1945年(昭和20年)

3月 - 名古屋大空襲により、名古屋第一工学校と分教場が焼失。

9月 - 松軒国民学校の校舎を借りて授業継続。


1951年(昭和26年)

中部大学1号館3月 - 私立学校法に基づき、財団法人常磐学園を学校法人三浦学園に組織変更。理事長は三浦幸平。

4月 - 鶴舞幼稚園開園。園長は三浦幸平。


1962年(昭和37年) - 中部工業短期大学が開校。


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