中道往還
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中道往還(なかみちおうかん)は、甲斐国山梨県)と駿河国静岡県)を結ぶ街道のひとつ。駿州往還(河内路)と若彦路の中間に位置することから「中道」と呼ばれる(『甲斐国志』による)。山梨県甲府市の右左口宿(うばくち、姥口)を通過することから、右左口路とも呼ばれる。「中道往還」は甲州側からの呼称であり、静岡方面からは甲駿街道や甲州街道の呼称が使われる。
地理

甲府において駿州往還とともに甲州街道から分かれて南下し、落合町で笛吹川を渡河する。右左口宿を経て右左口峠(迦葉坂、かしょうざか)を越え、間宿のある古関、精進湖から本栖湖東岸から駿河国へ入り、根原、人穴宿を経て、上井出宿では若彦路とも合流。さらに大宮を経て東海道へ合流して吉原宿静岡県富士市)へ至る。また、精進や本栖からは河内や郡内方面へも通じる。

甲府 - 右左口 - 柏尾坂 - 女坂 - 古関 - 精進 - 本栖 - 根原 - 人穴 - 大宮 - 厚原 - 吉原湊

歴史右左口宿(2011年4月)

甲府市内の曾根丘陵においては甲斐銚子塚古墳をはじめ畿内色の古墳文化が展開されるが、沿道からは畿内的特徴のある考古遺物が発見されており、東海地方からの古墳文化の流入路であったと考えられている。

御坂山地や富士山麓など難所を通過する街道であり、武田氏は古関と本栖に関所を設置していたが、江戸時代以前には甲駿を最短で結ぶことから、治承・寿永の乱以来軍用道路としても使用された。『吾妻鏡』治承4年(1180年)10月14日条には武田信義安田義定が通過した富士山麓の道として「鉢田」に至る「神野并春日路」が記されており、『甲斐国志』では「春田路」を中道往還に比定している。

戦国時代には駿河の今川氏が甲斐へ侵攻する経路となり、武田氏は本栖城(富士河口湖町)を築いた。右左口の日陰山(標高1025.3メートル)中腹には金刀比羅山砦跡(こんぴらやまとりであと)があり、武田氏が築いた中道往還の押さえの城、もしくは烽火台である可能性が考えられている[1]天正10年(1582年)3月には織田信長・徳川家康連合軍の武田領侵攻により武田氏が滅亡し、徳川家康が街道を整備したという(『信長公記』)。同年6月には本能寺の変により武田遺領をめぐる天正壬午の乱が発生し、甲斐では家康と相模国の北条氏直が対陣する。『家忠日記』11月4日条・12月7日条では徳川方が山城を築いており、これが金刀比羅山砦にあたると考えられている[1]。なお、金刀比羅山砦の北側には右左口砦跡が所在している[1]

『甲斐国志』に拠れば、天正壬午の乱を経て武田遺領を確保した徳川家康は右左口に滞在して所役免除を行ったとされ、近世には家康への敬慕から御朱印祭が行われた。伝馬役を負担する代わりに駿甲間を往来しての海産物運輸に関する諸役を免除されていた[2]

近世には軍用道路としての役割が低下し、九一色衆は家康から朱印状(天正10年7月23日『徳川家康朱印状』)を与えられ往還警護を務め、毎年7月23日の御朱印祭では人形芝居が行われた(右左口人形)。また、人形は往還を通じて駿河でも製作された。江戸時代には脇往還となり、右左口、精進、上井出の宿駅や本栖の口留番所が設置された。また、富士山麓の冷涼な気候が鮮魚輸送に適していることから、清水や沼津から水揚げされた海産物などが甲斐に輸送され、明治末年の見聞録によれば往時には富士川水運と鮮魚輸送を競ったという[3]。近代には身延線の開通などを受けて重要性は低迷する。
文化財右左口宿にある山崎方代生家跡の記念碑(2011年4月)

右左口区有文書及び関連資料一括 - 平成16年11月29日指定山梨県有形民俗文化財

宿区に伝わる右左口区有文書や人形芝居の用具などの資料群。全181点。右左口区有文書は徳川家康の朱印状羽柴秀勝黒印状をはじめ、近世の中道往還における交通や商業、村政関係資料、村絵図など2500点。特に徳川家康朱印状などは葵紋が施された石櫃に収納され厨子に安置され、厳重に保管されていた。「右左口人形芝居のかしらほか用具一式」は江戸から明治期にかけて用いられた御朱印祭で用いられたもので、全181点がある。衣装箱などの墨書から人形芝居は村の若者によって担われ、人形のかしらは駿府や由比で製作されたことが判明している。現在は山梨県立博物館に寄託。

右左口峠

峠付近から八ヶ岳(北西方向)を望む(2005年9月)
標高860 m
所在地日本国 山梨県 甲府市右左口町・梯町
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度33分0秒 東経138度35分47秒 / 北緯35.55000度 東経138.59639度 / 35.55000; 138.59639
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