中西麻耶
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中西麻耶

選手情報
フルネーム中西麻耶
ラテン文字Nakanishi Maya
国籍 日本
種目短距離走走幅跳
所属阪急交通社
生年月日 (1985-06-03) 1985年6月3日(38歳)
出身地大分県由布市
成績
パラリンピック100mT44 6位(2008年
200mT44 4位 (2008年
走幅跳T44 8位(2012年), 4位(2016年
世界選手権世界パラ陸上競技選手権大会
走幅跳T64 優勝(2019年)
地域大会決勝アジアパラ競技大会
100mT64 2位(2018年)
走幅跳T64優勝(2018年)
国内大会決勝

ジャパンパラ陸上競技大会
100mT44 優勝(2007,08,09,11年)
200mT44 優勝(2007,08年)
走幅跳F44/T44 優勝(2009,11,12,14,15,17,21年)
日本パラ陸上競技選手権大会
走幅跳T44/T64 優勝(2014~18, 20年)
自己ベスト
100m13秒84(2009年)
200m28秒52(2008年)
走幅跳5m70cm(2020年)

獲得メダル

日本
陸上競技
世界パラ陸上競技選手権大会
金2019 ドバイ走幅跳T64
銅2024 神戸走幅跳T64
アジアパラ競技大会
金2018 ジャカルタ走幅跳T64
銀2018 ジャカルタ100mT64


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中西 麻耶(なかにし まや、1985年〈昭和60年〉6月3日 - )は、義足(右脚下腿切断)の陸上競技選手。北京パラリンピック日本代表、ロンドンパラリンピック日本代表。リオデジャネイロパラリンピック日本代表。2017年シーズンまで、陸上競技障害クラスT44。2018年シーズンからは、新設された陸上競技障害クラスT64。日本記録・アジア記録保持者。
略歴
北京パラリンピックまで

大阪市に生まれ、小学生の時に父親の仕事の都合で大分県大分郡庄内町に移り住む[1]

大分県別府市にある明豊高等学校在学中に、ソフトテニスの選手として全国高等学校総合体育大会(インターハイ)及び国民体育大会に出場[1]。2004年3月に高校を卒業した後は社会人として働いていたが、2008年に地元で開催されるチャレンジ!おおいた国体が開催されることを知り、大会出場を目指し、2006年にソフトテニス競技に復帰[2]

2006年9月に、仕事中の事故で右足の膝から下を切断[3][4][5]。事故後に義足でソフトテニスを続けることを断念し[6]、陸上競技に転向[7]。2007年3月に義肢装具士の臼井二美男と出会い[7]、臼井作成の義足を借用して出場した同2007年10月のジャパンパラリンピック陸上競技大会において、早くも100m走200m走で日本記録を樹立。2008年3月の九州チャレンジ大会で北京パラリンピックのA標準記録を突破し、2008年北京パラリンピック日本代表となる[8]

北京パラリンピックでは、100mで6位入賞、200mで4位入賞の成績を残した[9]
ロンドンパラリンピックまで

北京パラリンピックの決勝で世界との差を感じたことから、2008年に渡米[10][11]サンディエゴのオリンピック・トレーニング・センターに練習拠点を移し、アル・ジョイナーコーチの指導を受けた[12][13]。渡米後もたびたび一時帰国して国内の試合に出場し、日米を往復する生活を送った[12][14]。2009年9月のジャパンパラリンピックでは走幅跳びでも日本記録を樹立した[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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