「中臣宮処東人」とは別人です。
凡例中臣東人
時代奈良時代
生誕不明
死没不明
官位従四位下・刑部卿
主君元明天皇→元正天皇→聖武天皇
氏族中臣氏
父母父:中臣意美麻呂
母:藤原鎌足娘・斗売娘
兄弟東人、安比等、広見、長人、豊人、
豊足、大中臣清麻呂、泰麻呂
子安麿、伊度麿、国守、古麿、家守、
嶋守、宅守、宮主、占部、宅門、総主
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中臣 東人(なかとみ の あずまひと)は、奈良時代の貴族。中納言・中臣意美麻呂の子。官位は従四位下・刑部卿。 和銅4年(711年)正七位上から五階の昇叙を受け従五位下に叙爵。元正朝において、養老2年(718年)式部少輔、養老4年(720年)従五位上・右中弁に叙任。この間の養老5年(721年)伊勢神宮幣帛使
経歴
神亀元年(724年)聖武天皇の即位に伴い、正五位下に叙せられる。聖武朝では兵部大輔などを務める一方、神亀3年(726年)正五位上、天平5年(733年)従四位下と累進した。
『万葉集』第4巻に阿倍女郎
との相聞歌1首を残している。『続日本紀』による。 「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。
時期不詳:正七位上
和銅4年(711年) 4月7日:従五位下(越階)
養老2年(718年) 9月19日:式部少輔
養老4年(720年) 正月11日:従五位上。10月9日:右中弁
神亀元年(724年) 2月22日:正五位下
神亀3年(726年) 正月21日:正五位上
天平4年(732年) 10月17日:兵部大輔
天平5年(733年) 3月14日:従四位下
時期不詳:刑部卿[2]
系譜
父:中臣意美麻呂
母:藤原斗売娘 - 藤原鎌足の娘
妻:不詳
長男:中臣安麿
次男:中臣伊度麿
三男:中臣国守
四子:中臣古麿
五子:中臣家守
男子:中臣嶋守
男子:中臣宅守
八男:中臣宮主
九子:中臣占部
男子:中臣宅門
男子:中臣総主
脚注[脚注の使い方]^ 『官曹事類
^ 『日本三代実録』貞観6年8月10日条
参考文献
宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
表
話