中立国
[Wikipedia|▼Menu]
SIG SG550アサルトライフルを携帯したまま買い物するスイス民兵。
スイスは永世中立国であると同時に、徴兵制度を有する国民皆兵・武装中立国家でもある。

中立国(ちゅうりつこく、: neutral country)とは、自国の中立を保障・承認されている国家の呼称である。国際法上の中立には、戦時中立と永世中立の区別がある。

戦時中立とは、戦時国際法上の中立法規「陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約」および「海戦ノ場合ニ於ケル中立国ノ権利義務ニ関スル条約」の原則に基づき、交戦国からの侵攻や攻撃を受けない代わりに、交戦国のいずれにも便宜を与えてはならないとする立場のことを指す。

永世中立(: La neutralite permanente)とは、国際条約または自国の宣言によって、将来のすべての戦争の交戦国に対して中立であることを義務づけられている立場を取る国家のことを指す[1][2]。永世中立国の最も代表的な例として、スイスが挙げられる。戦争における中立の概念は狭く定義されており、中立を保つという国際的に認められた権利の見返りとして、中立の当事者に特定の制約を課している。
中立の定義

中立国には他国の紛争に荷担する行為など、戦争に巻き込まれる恐れのある行為を慎むことも求められる[3]。スイスは中立国であったために、他国からの政治的亡命者がスイスにおいて活動することもあった。ルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)亡命した際にはフランス政府が軍事的な威嚇を行い、ルイ・ナポレオンが自発的退去を行ったこともある[4]。また国家に対する経済制裁に参加することも中立違反となる。しかしローデシア問題のように、国家承認が得られていない独立を主張する政権に対する経済制裁は、中立違反とは見られていない[5]。また中立国が他国の戦時債券を買うことは中立義務違反となる。

また国際法上における中立は国民の立場をも統制するものではない。中立国の国民が戦時債券を買うことは中立義務違反ではない[6]。また国民が戦争の義勇兵となることも自由であり、中立国はこれを抑止する義務を持たない[6]
永世中立
永世中立の条件

永世中立は伝統的中立とともに古い歴史を持つ概念であり、かなり古くから国際法に存在していた[1]。そのため、以下の条件を満たす必要があると考えられている[1]
複数の国家の同意による「中立化」が必要である[1]。このためアミアンの和約の際にイギリスが提案したマルタの中立化は、関係諸国の承諾が得られず、実現しなかった事例がある[7]

中立化に参加した諸国は、永世中立国の独立と領土保全を常時保障する義務がある[1]

永世中立国はその中立である領土を他国の侵害から守る義務がある[8]。そのため常設的な武装が求められる[1][9]

永世中立国は、自衛の他は戦争をする権利を持たない[1][8]

永世中立国は、他国が戦争状態にある時には伝統的中立を守る義務がある[1]

永世中立国は、平時においても戦争に巻き込まれないような外交を行う義務がある。従って、軍事同盟や軍事援助条約、安全保障条約の締結を行わず、他国に対して基地を提供してはならない[10][11]。戦時においては外国軍隊の国内の通過、領空の飛行、船舶の寄港も認めないが、これは中立国一般の義務でもある[12]

永世中立国は非軍事的な国際条約、国際組織には参加でき、思想的中立を守る義務、出版言論の自由を制限する義務は持たない[10]

永世中立国は原則的に保障国の許諾無しに領域の割譲・併合などの変更を行わない。なお、ベルギーによるコンゴ自由国の併合のように、保障国の許諾が得られる事例もある[12]

軍事同盟国が無いため、他国からの軍事的脅威に遭えば、如何なる同盟国にも頼らず、自国の軍隊のみで解決することを意味する。すなわち、『どのような戦争に対しても「かならず/固定的に」中立の立場を採る国家』という意味である。日本語訳の「永世」のような『永遠に』『これから先もずっと』という意味合いは、全く持っていない。

よって、状況によっては「永世中立」を一方的に放棄することも可能であり、実際に放棄された事例もある。
永世中立と国際関係

永世中立はあくまで戦時における中立を定めたものであり、平時における国家間条約による経済協定や、国連機関の設置、国連組織への参加は認められている[13]

1920年に発足した国際連盟は、違反者への軍事制裁を行うことができる国家間連合であり、いわゆる伝統的中立に抵触する可能性があった。このため国際連盟はスイスは長年の永世中立を保った実績をもっているため、国際連盟の軍事制裁に参加しないことを許された特例的な中立国とするロンドン宣言を採用した。これにより、スイスは国際連盟に加盟している[14]。しかし、第二次エチオピア戦争の際に国際連盟がイタリア王国に対する経済制裁を議決した際、スイスは加盟国であり、経済制裁への参加は義務付けられていたにもかかわらず、伝統的中立政策に回帰して経済制裁を行わなかったという事例もある[14]。スイスは国際連盟下での中立は困難であるとしており、伝統的中立への回帰を図り、1938年には国連に承認された[14]

このためスイスは1945年の国連発足に当たっては、中立義務の遂行と国連加盟が両立しないとして加盟しなかった[13]。一方でオーストリアは1955年に国連加盟を行ったが、その際にオーストリアの永世中立を問題にした国は存在せず、中立義務を守ることが可能であるという見解がとられていた[15]。なお、オーストリアとスイスが欧州共同体に参加することは、中立義務違反であるとしてソビエト連邦など東側諸国から反対されていた[16]。しかし欧州共同体および後継の欧州連合との関係は強く、スイスは1972年に欧州共同体と自由貿易協定を結んで以来、シェンゲン協定など120以上の協定を締結している[17]冷戦中のスイスについて、チューリヒ大学のステファニー・ヴァルターは「スイスは暗黙のうちに西側に与していた。人権に関しても一定の態度表明をしている」と評している[18]
永世中立と軍事

永世中立は非武装を意味せず、いわゆる「非武装」や「無防備都市」とは、全く概念・理念が異なるものである。スイス軍の様に強力な国防政策を採る場合もある(武装中立)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef