中禅寺湖
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中禅寺湖

中禅寺湖と男体山。手前の半島は八丁出島.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}中禅寺湖 栃木県地図を表示中禅寺湖 (関東地方) 関東地方の地図を表示 Wikimedia maps を表示
所在地 日本
栃木県日光市
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度44分26秒 東経139度27分44秒 / 北緯36.74056度 東経139.46222度 / 36.74056; 139.46222座標: 北緯36度44分26秒 東経139度27分44秒 / 北緯36.74056度 東経139.46222度 / 36.74056; 139.46222
面積11.90[1] km2
周囲長25 km
最大水深163 m
水面の標高1,269 m
成因堰止湖
淡水・汽水淡水
湖沼型貧栄養湖
透明度9.0 m
プロジェクト 地形
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中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)は、栃木県日光市日光国立公園内にある日本の湖沼では25番目の面積規模を有する。
概要

中禅寺湖は、約2万年前に男体山噴火でできた堰止湖である[2]人造湖を除く広さ4km2以上の湖としては、日本一標高の高い場所にある湖である。また、栃木県最大の湖である。1周は約25kmであり、歩くと9時間ほどかかる距離である[3]。湖のすぐ北には男体山がそびえ、北西には戦場ヶ原が広がる。中禅寺湖と男体山周辺の地形図拡大
Clip男体山の山頂付近(弥陀ヶ原)から見た中禅寺湖。湖の右側に広がる平地は戦場ヶ原

中禅寺湖は、現在は観光地として知られるが、日光山を開いたとされる勝道上人が発見したとされる湖であり、かつては神仏への信仰に基づく修行の場として知られていた[3]。湖岸から約100m離れた場所にある上野島には、勝道上人の遺骨の一部が納められている[3]

湖の南側には八丁出島と呼ばれる細長く突き出した半島があり、紅葉の名所として知られるほか、薬師如来を祀っていたとされる薬師堂跡がある[3]日本百景に選定されている。

もともとは生息していなかったが、明治期から徐々に放流が行われ、1991年の調査ではマス類およびコクチバスワカサギウグイコイフナヒメマス、ホンマスなど24種の魚種が生息している。特に、ヒメマスは湖産親魚から採卵孵化した稚魚が放流され、地引き網などで捕獲された魚は特産品として、また遊漁目的の重要な観光資源となっている。なお、ホンマスは、ヤマメ(Oncorhynchus masou)とビワマス(Oncorhynchus masou rhodurus)の交雑個体とされている[4]

日本で唯一レイクトラウトが繁殖しているとされ、スポーツフィッシングの対象となっている[5]。レイクトラウトは産業管理外来種に指定されているが、2023年3月に山梨県の本栖湖でも個体が確認され、栃木県と山梨県では密放流が行われたとみている[6]。中禅寺湖のレイクトラウトは、福島第一原子力発電所事故による放射性物質汚染の影響で2012年以降持ち出しが一切禁止されており、体内の汚染濃度が減衰したため2023年4月に全面解除される予定だったが、栃木県内水面漁場管理委員会は密放流を防ぐため生きた状態での持ち出しを当面禁止することとした[6]

流入河川 : 湯川など

流出河川 : 大谷川鬼怒川の支流)から華厳滝へ(中禅寺湖から華厳滝の間は通称「大尻川」と呼ばれ、中禅寺ダムが設置されている[8])。

気候中禅寺湖畔の気候については「奥日光#気候」を参照
歴史
明治以前

782年(天応2年)、勝道上人が男体山の登頂時に発見したといわれている[9]。勝道はその後、湖畔に神仏を祀り、784年には神宮寺(後の中禅寺)を建立するなどし、信仰に基づいて修行を行える「霊場」をつくりあげた[3]。中禅寺は、当初、現在の日光二荒山神社・中宮祠(ちゅうぐうし)がある場所にあり、勝道が湖上でその姿をみて作成したとされる千手観音(立木観音)が祀られていた[10]

817年(弘仁8年)、勝道が没すると、中禅寺湖と縁が深かったとして、湖岸から約100m離れた場所に上野島がつくられ、遺骨の一部を納められた[3]
明治以後小林清親『中禅寺湖』(1897年・明治30年)半月山の中禅寺湖展望台からの男体山と紅葉冬の中禅寺湖を空撮

1873年水産庁増養殖研究所によると、最初の放流が行われ、下流域の河川に生息していたイワナが放流された[11]

1876年(明治9年)には明治天皇が訪れた際、同湖を「幸の湖(さちのうみ)」と名付けている。1878年(明治11年)6月末に当地を訪れたイザベラ・バードは、いろは坂を上り切った山頂から見下ろす中禅寺湖の水面に映える男体山を絶賛し、また湖畔を竜頭滝方面に進む際に絶えず聞こえた小石を洗う漣と高さ5メートル弱のツツジの林が真紅の花で染まっている様子をその手紙に綴っている[12]

1902年(明治35年)、大山津波により、中禅寺は大きな被害を受け、観音堂が湖上に押し流されたが、本尊であった千手観音(立木観音)は無傷のまま湖上に浮かび、後に再建された中禅寺で引き続き祀られることになった[10]。また、同年、カワマスが放流された[11]

1906年、十和田湖からヒメマスが35万尾放流された[13]

明治中期から昭和初期にかけて、同湖周辺には欧米各国の大使館別荘が建設され、各国の外交官たちが避暑に訪れるリゾート地となる。

1943年、中禅寺湖の水を栃木県、茨城県へ灌漑する「幸の湖下流用水改良事業」の施設が完成。最大毎秒100立方尺の水量が利用可能となった[14]
戦後

第二次世界大戦の影響で観光地は一時衰退するが、戦後、いろは坂の開通でアクセスが容易になり、春の新緑や秋の紅葉などで人気を博することとなった。

1963年、中禅寺湖漁業協同組合が組織され、ニジマスヤマメブラウントラウトビワマスなどマス類を中心に放流され、放流と自然繁殖[15]により資源が維持されることとなった。


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