中田 勇次郎(なかだ ゆうじろう、明治38年(1905年)1月7日 - 平成10年(1998年)10月23日)は、日本の文学者。大谷大学教授・京都市立美術大学など歴任。専門は書道史、中国文学。号は有廬(ゆうろ)、書斎を心花室(しんげしつ)と称した。 中田勇次郎は浩瀚な著述を残しているが、その研究分野は次の6つに分類できる。 以上の中で中国文学の詩余(漢詩)の研究と書道史の研究に重きが置かれ殊に書道史の研究においては質・量ともに日本の第一人者であり、その著作は翻訳され中国や欧米諸国でも高い評価を受けている。
学問・業績
中国文学の詩余
書道・書道史
文房清玩
文人画・文人画論
篆刻
その他
主な研究対象王羲之・米?・黄庭堅・空海・貫名菘翁など
略歴
京都の繊維問屋 中与商店の次男として京都市中京区に生まれる。父 佐久造は、家業の傍ら貫名海屋の門人に師事し書を能くし、母つるは茶花の栽培を得意とした。
幼少より恵まれた環境で育ち英才教育を受ける。
第三高等学校卒業後、京都帝国大学文学部支那語学支那文学科に入学する。当時、大学では内藤湖南や狩野君山らの伝統を受け継ぐ支那学が隆盛であり、鈴木虎雄、青木正児らに指導を受けて、主に宋詞について研究する。
1935年(昭和10年) - 大学院に進む。
1941年(昭和16年) - 大谷大学教授となる。
1954年(昭和29年) - 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)の学生部長に転じる。
1963年(昭和38年) - 同大学学長となる(1965年まで)。
1969年(昭和44年) - 同大学を定年退職するが、大手前女子大学(現:大手前大学)教授に迎えられ文学部長を務める。
1976年(昭和51年) - 勲三等瑞宝章を授与。
1981年(昭和56年) - 文化庁から文化財保護審議会
1987年(昭和62年) - 文字文化研究所