ドメイン:真核生物 Eukaryota
界:動物界 Animalia
門:中生動物門 Mesozoa
学名
Mesozoa
van Beneden, 1876
下位分類
菱形動物 Rhombozoa
直泳動物 Orthonectida
?(一胚葉動物 Monoblastozoa)
? サリネラ Salinella Frenzel, 1892
(平板動物 Placozoa)
センモウヒラムシ Trichoplax
Treptoplax
class Catenata Dogiel, 1906
ハプロゾーン Haplozoon Dogiel, 1906
class incertae sedis
ローマンネラ Lohmannella Neresheimer, 1903
アメーボフリア Amoebophrya Koeppen, 1894
ブッデンブロッキア Buddenbrockia Schroder, 1910
中生動物(ちゅうせいどうぶつ、Mesozoa)とは、後生動物としての体組織や器官を完全には備えていない動物である。かつては、中生動物門(ちゅうせいどうぶつもん、Phylum Mesozoa)として1つの門にまとめていた。かつては後生動物に含めることのできない所属不明の小型多細胞動物が無差別に入れられ、動物分類の屑籠(Wastebasket taxon)のようであったが、のちにそれらは除かれ、二胚動物(菱形動物)と直泳動物の2群が置かれるようになった[1]。しかしこれらは互いに系統関係がないと考えられ、現在ではそれぞれ独立した動物門に置かれるのが普通であるが、現在でも中生動物という語を用いてこの2群を指すこともある[2][1]。もしくは原生動物と後生動物の間の進化段階を示す単語として用いられる[2][1]。
学名 Mesozoaはギリシャ語の μ?σο? (mesos, 中間)とζ?ον (zoion, 動物)に由来する[1]。 中生動物 Mesozoaは、ニハイチュウ類を原生動物 Protozoaと後生動物 Metazoaとの中間に位置をする動物群として、1876年にベルギーのEdouard van Beneden
研究史
1882年には、van Benedenはチョクエイチュウ(直泳虫)をこれに含め、ニハイチュウを菱形動物 order Rhombozoa、チョクエイチュウを直泳動物 order Orthonectidaとした[2]。それに対し、Giard (1879)はチョクエイチュウを動物の進化上、嚢胚様の仮想動物 Gastraeadaと渦虫類との聞に置き、チョクエイチュウとニハイチュウは渦虫類などを含む蠕虫類 Vermesに属するとみなし、ニハイチュウなどの簡単な体制は寄生による特殊化によるもので、ニハイチュウなどは本来複雑な体制をもつ動物であったと考えた[2]。
1888年、Hatschekはその構造が腔腸動物のプラヌラ幼生に似ていることから、腔腸動物に含め、この群の名をPlanuloideaに変えた[3]。多くの動物学者はこれを退化したヒラムシとして扱い、扁形動物に含めた[3]。
これ以降、多くの小型多細胞生物が無差別に中生動物として記載されることになる。1892年Johannes Frenzelによりサリネラ Salinella salveが、1903年Eugen Robert Neresheimerによりローマンネラ Lohmannella catenataが中生動物として記載された[2]。その翌年1904年にNeresheimerは、Koeppenが1894年に発見したアメーボフリア Amoebophryaを中生動物門に含めた[2]。1906年、Dogielはハプロゾーンを中生動物門に含め、その下にclass Catenataを設立した[2]。しかし、寄生性渦鞭毛藻 Blastediniumとの類似を指摘され、2年後の1908年、Neresheimerがハプロゾーンを中生動物門から除いた[2]。1910年、Olaw Schroderはブッデンブロッキア Buddenbrockia plumatellaeを中生動物の1 種として記載したが、当時淡水産の中生動物として注目された[2]。その2年後、Schroderはブッデンプロッキアの体に4列の縦走筋がみられることを発見したため、この動物は中生動物ではなく、センチュウが寄生生活のために極度に退化したものと考えた(2002年にはミクソゾアの一種と考えられるようになる)[2]。1940年、Hymanはローマンネラおよびアメーボフリアを寄生性渦鞭毛藻であるとした[2]。
こうして、中生動物はvan Beneden (1882)が定めた2群のみに戻った。Hochberg (1983)は、ニハイチュウやチョクエイチュウにみられるような体制を指すときにのみに中生動物という用語を用いることを提案している[2]。その後Kozloff (1990)は、あるステージのニハイチュウ類はチョクエイチュウ類のそれに表面的には似ているが、それ以外の点においては明確に異なっているため、これらを独立の門に置いた[4]。また、中生動物という語は本来原生動物と後生動物を繋ぐ進化段階を指す分類群として提唱されたものであるため、望ましくない[4]。こういった経緯があり、中生動物はもはや一つの門としては用いられないが、これまで通り俗語としてニハイチュウとチョクエイチュウの総称を指すのに用いられる[2][4]。 van Beneden (1876)は中生動物の体について以下のように記述した[2]。一部あるいは全細胞に繊毛がみられる外胚葉と、1個または数個の細胞からなり生殖細胞を生じる内胚葉からなる[2]。基底膜、間充織
特徴
Hyman (1940)による定義では、中生動物はライフサイクルの一部または全てをシンシチウムの体表層が1もしくは複数の生殖細胞を取り囲む、多細胞の内部寄生虫である[3]。複雑な生活史をもち、無性生殖と有性生殖の世代を世代交代する[3]。後生動物中の一群として置かれ、体細胞の表層と内部の生殖細胞からなる無腔胞胚 stereoblastulaの構造を持っている多細胞動物だとされる[3]。
各動物群
ニハイチュウ類コンボウニハイチュウ Dicyema clavatumの顕微鏡写真。詳細は「二胚動物」を参照
ニハイチュウ(二胚虫)類 Dicyemidaは頭足類(タコおよびコウイカ類)の腎嚢に寄生(片利共生[5])している。体の大きさは数 mmで[6]、体を構成する細胞は多細胞動物の中で最少級[7]の蠕虫様の動物である。全世界の頭足類約25属から3科8属約140種の二胚動物が確認されている[6]。現在は独立の門二胚動物門とされることが多い。
1839年、ドイツのAugust Krohn[8]はニハイチュウの存在を詳細に記録した[9]。