「中甑島」はこの項目へ転送されています。中甑島全域からなる大字については「上甑町平良」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目に含まれる文字「甑」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。
上甑島
上甑島と中甑島(2010年3月17日撮影)
所在地日本・鹿児島県
所在海域東シナ海
所属諸島甑島列島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度50分26.9秒 東経129度52分39.4秒 / 北緯31.840806度 東経129.877611度 / 31.840806; 129.877611 (上甑島)
上甑島(かみこしきしま)は、東シナ海の甑島列島北部にある離島。鹿児島県薩摩川内市に属する。かつては上甑島南部と中甑島を合わせてひとつの自治体だったため、ここでは中甑島(なかこしきしま)についても記述する。「甑島」の名は中甑島北部にある「甑」(蒸籠)の形をした巨石を甑大明神として崇拝したことに由来し、かつては子敷島、古志岐島とも書いた[1][2]。 甑島列島は鹿児島県いちき串木野市の沖合約45 kmにある列島であり、その北端にあるのが上甑島、中央にあるのが中甑島である。両島に付随する小規模な無人島もあり、中甑島は集落名から平良島(たいらじま)または単に平良と呼ばれることもある[注 1][3][4]。面積は上甑島が44.14 km2、中甑島が7.31 km2である[5]。上甑島の面積は鹿児島県の離島中第10位である。2010年(平成22年)の国勢調査による人口は上甑島が2,488人、中甑島が308人である。最高標高地点は上甑島が423 mの遠目木山[6]、中甑島が294 mの木の口山[7]である。 全体的に山肌が海にせまり、沖積平野の発達が極めて少ないが[8]、下甑島と比べると上甑島と中甑島には比較的緩やかな丘陵が広がる。上甑島は縦の変化に乏しい一方で、里集落の陸繋砂州(トンボロ)、3つの池と東シナ海とが砂州で区切られた長目の浜、奥地まで海が入り組んだリアス式海岸の浦内湾など、横の地形的な変化が豊かである。甑島列島の平均気温は18.5度と温暖であり、本土の同緯度地域(阿久根市)よりもやや気温が高い[9]。夏・秋には台風、冬には季節風の影響を強く受ける[5]。台風の影響は列島の西海岸よりも東海岸のほうが著しい[9]。降水量は年2,500 mmほどであり、本土(鹿児島市)よりもやや降水量が多い[9]。 国土地理院地図(抄)。陸繋した浜辺や海礁上の小岩、無名の岩を除く。 里遺跡は甑島列島唯一の縄文土器が出土した遺跡である[10]。里遺跡、江石遺跡、桑之浦遺跡からは、弥生土器、土師器、須恵器などが出土している[10]。上甑島の桑之浦には神功皇后の三韓征伐に関する伝説が残る[11]。奈良時代には薩摩隼人族の一根拠地(甑島隼人)だったと推測される[11][1]。平安時代初期に編纂された『続日本紀』には遣唐使船が甑島に停泊したことが記され、中期に編纂された『和名抄』には「甑島郡管管」、「甑島」という名前が登場する[11]>。甑島列島の各地に平家の落人伝説が残っている[11]。鎌倉時代中期から370年間、13代に渡って小川氏が統治を行ない[12][6]、この時代から行政単位が上下(上甑島・中甑島、下甑島)ふたつに区分された[11]。里には承久の乱で功績を挙げた小川季直が築城した亀城(かめじょう)があり、近隣の鶴城と合わせて鶴亀城と呼ばれている。1595年(文禄4年)、小川氏は本土の日置郡田布施(現南さつま市)に移封されて甑島の統治から離れた[13]。
地理
大字[注 2]
里地域 - 里町里(さと)
上甑地域 - 上甑町中甑(なかこしき)、上甑町中野(なかの)、上甑町江石(えいし)、上甑町小島(おしま)、上甑町瀬上(せがみ)、上甑町桑之浦(くわのうら)
※上甑町平良(たいら)は中甑島全域とその周辺の無人島からなる。
小島・岩礁
黒神 - 上甑島東端の射手崎から5 kmほど西北西沖。
犬島、松島、筒島、野島、双子島、沖の島、大瀬、近島 - 射手崎のすぐ東側沖に点在する小島群。
冠崎、殿崎、板倉瀬、八網代 - 上甑島東側沖。
小島(2か所)- 上甑島南側沖。
中島 - 上甑島と中甑島を結ぶ橋が掛かる。
辰丸 - 上甑島浦内湾内。
境瀬、掛平瀬、サクイバ瀬 - 上甑島西側沖。
大瀬、西崎 - 上甑島北端部沖。
平瀬、白崎、沖の瀬上、黒瀬 - 中甑島沖
歴史
Size:106 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef