中湧別駅
駅舎(1993年2月)
なかゆうべつ
Naka-Yūbetsu
中湧別駅(なかゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字中湧別中町(現・湧別町中湧別中町)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122124[2]。名寄本線は当駅で本線と湧別支線が分岐し、加えて1987年(昭和62年)までは湧網線の分岐駅であった。
歴史1977年の中湧別駅と周囲約500m×750m範囲。上は左が名寄本線紋別方面、中央が湧別支線湧別方面、右が湧網線網走方面。下が名寄本線遠軽方面。大きな駅舎を持ち、千鳥型にずれた形の国鉄型配線の2面3線と駅舎横の貨物ホームへ引込み線、駅裏には多くの側線を有する。湧網線、湧別支線の起点駅として小さな機関区を持っていて、駅舎正面に整備用車庫が設置されている他、南側には転車台を含めて蒸気機関車時代の古い施設がそのまま残されている。ストックヤードは分散しており、駅舎横の貨物ホーム側には木材、駅裏北側には石炭、駅構外南側には白い鉱物質(不明)がそれぞれ野積みされている。構外南側のヤードへは引込み線が伸び、無蓋のホッパー車が認められる。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。 所在地名より。地名は、湧別川の中流に位置していたために「湧別」に「中」を冠する[3][8]。 廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[9]。互いのホームは駅舎側ホーム北側と島式ホーム南側を結んだ跨線橋で連絡した[9]。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が上下共用の1番線、島式ホーム駅舎側が名寄本線下りの2番線、外側が湧網線発着用の上下共用の3番線となっていた。また島式ホーム北側は切欠きとなっていたが側線扱いとなっていた。3番線の外側に多数の側線を有し、そのほか1番線の名寄方から分岐し駅舎北側の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた[9]。名寄本線湧別支線と湧網線の合流地点にはシーサス・クロッシングが設置されていた[9]。 職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置し単式ホームから少し離れた場所に存在していた[9]。コンクリート製の駅舎であった。
年表
1916年(大正5年)11月21日:鉄道院湧別軽便線社名淵(後の開盛) - 下湧別駅(後の湧別)間延伸開通に伴い開業[3]。一般駅。野付牛(現・北見)機関庫中湧別分庫設置。
1919年(大正8年):富士製紙が湧別町芭露より当駅裏土場まで馬車鉄道による森林軌道敷設[4][5]。
1922年(大正11年)9月2日:湧別軽便線が湧別線に改称され、同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日:中湧別機関分庫が渚滑機関庫所属となる。
1924年(大正13年)10月1日:中湧別機関分庫廃止。
1930年(昭和5年)頃:富士製紙の森林軌道廃止[4]。
1932年(昭和7年)10月1日:湧別線が名寄本線に編入され、同線の駅となる。
1935年(昭和10年)10月20日:湧網西線当駅 - 計呂地駅間開通に伴い同線の分岐駅となる[6]。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道に移管。
1953年(昭和28年)10月22日:湧網西線が湧網線に改称され、同線の分岐駅となる。
1958年(昭和33年):駅舎改築[7]。
1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1]。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[1]。
1987年(昭和62年)
3月20日:湧網線が廃止される[6]。
4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
1989年(平成元年)5月1日:名寄本線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
駅構造
利用状況
1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は686人[9]。
駅周辺
国道242号(置戸国道)[10]
北海道道712号緑蔭中湧別停車場線
遠軽警察署中湧別駐在所
中湧別郵便局[10]
遠軽信用金庫中湧別支店
北海道銀行中湧別支店