中永太郎
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中 永太郎
生誕
1893年9月17日
大日本帝国 北海道旭川市
死没 (1969-04-26) 1969年4月26日(75歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴1914年 - 1945年
最終階級陸軍中将
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中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 1969年4月26日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将
経歴

北海道旭川市出身。地主・中藤平の長男として生まれる。旭川中学仙台陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第27連隊付となる。1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業し歩兵第27連隊中隊長となる。

1925年(大正14年)12月、陸士教官に就任し、参謀本部員に転じ、1929年(昭和4年)8月、歩兵少佐に昇進。1931年(昭和6年)8月、陸大教官となり、兼参謀本部員を経て、1933年(昭和8年)8月、歩兵中佐に進級し陸軍省人事局課員に就任。歩兵第11連隊付、人事局補任課高級課員を経て、1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第24連隊長となり東寧に赴任。1938年(昭和13年)6月、第12師団参謀長となり、関東軍司令部付、陸士教授部長を歴任。1940年(昭和15年)3月、陸軍少将に進級。同年12月、陸軍歩兵学校幹事に就任し、同校校長として太平洋戦争を迎えた。

1942年(昭和17年)12月、第15軍参謀長に発令され、緬甸方面軍参謀長に転じインパール作戦を指導。1943年(昭和18年)6月、陸軍中将に進む。1944年(昭和19年)9月、第18師団長に親補され、シッタン川で戦闘を交えた。終戦をビルマ・チャイトで迎えた。1946年(昭和21年)8月に復員
栄典

1940年(昭和15年)11月10日 - 紀元二千六百年祝典記念章[1]

親族

娘婿 明石良雄(陸軍少佐)

脚注[脚注の使い方]^ 『官報』・付録 1941年11月14日 辞令二

参考文献

秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。

外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。


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