中松 義郎
なかまつ よしろう
中松 義郎(2010年5月)
生誕 (1928-06-26) 1928年6月26日(95歳)
日本 東京都
国籍 日本
別名ドクター・中松
教育工学士(東京大学)[1]
業績
専門分野発明
受賞歴イグノーベル賞(栄養学賞)(2005年)
中松 義郎(なかまつ よしろう、通称:ドクター・中松[2]、英語表記:Dr. NakaMats 1928年〈昭和3年〉6月26日[3][4] - )は、日本の発明家、実業家、政治活動家。「ドクター・中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁[注 1][5]、「国際発明協会」[注 2]および「世界天才会議」の主宰者[6]。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった[7]。
プロフィール
略歴「送電線架設装置」を発明した中松義郎(1950年代)
東京府(現:東京都渋谷区)出身[8]。中松家は直参の旗本で、父は横浜正金銀行行員、母・芳野は東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業した教師だった[9]。学校は、初め麹町小学校に越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)に4年生から編入した[9]。
その後は旧制麻布中学校、海軍機関学校[10]、旧制成城高等学校理科甲類を経て、1953年(昭和28年)[11]に東京大学工学部を卒業した[4][12]。その後トーク番組「面白スタジアム」では東大法学部に学士入学して卒業したと主張しているが、真偽は定かではない。卒業後は三井物産に就職した[4][12]。
1959年(昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務、副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター・中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。 妻・滋里(1966年1月結婚)との間に義樹(2019年12月に長男・義瑛誕生。中松の初孫)、義成(ミュージシャン)、娘の2男1女を授かる。座右の銘は「撰難楽」(“せんなんらく”。
私生活