中村通
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仲村トオル」、「中村融」、あるいは「中村融 (SF)」とは別人です。

 中村 通 Toru NAKAMURA
基本情報
名前中村 通
生年月日 (1950-10-31) 1950年10月31日(73歳)
身長168 cm (5 ft 6 in)
体重63 kg (139 lb)
出身地大阪府
経歴
成績
優勝回数20勝(うち日本ゴルフツアー12勝)
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中村 通(なかむら とおる、1950年10月31日 - )は大阪府出身のプロゴルファー
来歴

茨木カンツリー倶楽部とは目の鼻の先にある茨木市立豊川中学校出身[1]で、生家の近くには、幼稚園から中学校まで同級生で、プロとして40年以上が経った今でも仲の良い山本善隆の家もあった[2]宮本康弘前田新作、後輩の井戸木鴻樹も同校出身であり[3]、小学時代から茨木CCを遊び場にして育った[1]

1968年秋に当時最年少の17歳でプロテストに一発合格し[4]、同じ頃に売り出した宮本・山本・吉川一雄と共に「関西四天王」[5]の一人として、国内ツアーやアジアサーキットなどで活躍[1]

1973年はツアー開幕前の沖縄オープンで初日13アンダーで首位に立ち[6]、2日目には17アンダーで首位を守り[7]、最終日には通算20アンダーで初優勝を飾る[8] [9]。開幕後は広島オープンを通算13アンダーで[10]イレネオ・レガスピ(フィリピン)を抑えて優勝[11]し、ツアー初制覇[12]を飾った。

1974年札幌とうきゅうオープンで2日目に首位に立ち[13]、グラハム・マーシュ(オーストラリア)を抑えて優勝[14] [15]KBCオーガスタでは初日に5アンダーで山本・高橋信雄と共に初日を首位タイで終えると[16]、2日目で単独首位に立ち、決勝ラウンドでも杉原の猛追を交わし、2代目チャンピオンを獲得[17]。通算15アンダー[18]で優勝[19]し、賞金400万円を手にした[17]

1975年には日英対抗で日本の優勝に貢献し[20]ABCカップ日米対抗では3日目に通算11アンダーで首位を保ち[21]、最終日に通算15アンダーで[22] [23]アル・ガイバーガーを抑えて個人戦優勝[24]

1977年にはオールスターゴルフでプレーオフを制し[25]1978年にはウィザードトーナメントで2日目に首位に立ち[26]新井規矩雄と山本を抑えての[27]通算2アンダーで優勝を飾る[28] [29]。同年の三菱ギャランでは許勝三(中華民国)・鈴木規夫を抑え[30]、通算8アンダーで[31]逆転優勝を果たす[32]1979年の同大会では通算3アンダーで2連覇を達成[33] [34]し、同年の東北クラシックではプレーオフで謝敏男(中華民国)を降した[35] [36] [37]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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