「中村覚」、「中村覺」、「中村暁」、あるいは「中村哲 (経済学者)」とは別人です。
中村 知(なかむら さとる、1893年2月21日 - 1972年3月1日)は、日本のボーイスカウトの黎明期から、第二次世界大戦前の拡大期、戦後の再建期にわたって活躍したボーイスカウト指導者。「ちーやん」の愛称で親しまれた。筆名に東野通義。
ボーイスカウト日本連盟の功労章である「はと章」「やたがらす章」の受賞者。
『ちーやん夜話集』や多くのスカウトソングの作詞作曲、スカウト運動の基礎となる書籍類の翻訳で知られる。 1909年、広島高等師範学校(現・広島大学)付属中学校に在学中、当時の校長だった北条時敬より英国ボーイスカウトについての知識を得、生徒同志30名と日本最初のスカウティング集団「城東団」を結成し班長となる。 1917年、東洋協会植民専門学校(現・拓殖大学)朝鮮語学科を卒業。 1923年、大阪府立高津中学校(現・高津高等学校)歴史科の教諭となる。クラブ活動の一環として「スカウト部」を創設。隊長を務める。(1939年まで) 1929年、第3回世界ジャンボリーに参加。ギルウェル・パークの国際指導者訓練コースを修了。 1939年、「少年団日本連盟」の教務部長に就任。ボーイスカウト指導者の養成を担当する。 1941年、少年団日本連盟が「大日本青少年団」に吸収される。少年部課長、錬成局少年部長を担当。 1949年、広島市立児童図書館の館長に就任。 1950年、ボーイスカウト日本連盟の那須野営場が開設され、場長に就任。 1955年、日本連盟事務局の奉仕部長に就任。 1964年、日本連盟の嘱託となる。 1966年、勲五等瑞宝章を受章。 1972年、死去。享年79。
来歴
主な翻訳
『スカウティング・フォア・ボーイズ』
『パトロールシステムと班長への手紙』
『ウルフカブス・ハンドブック』
『ローバーリング・ツウ・サクセス』
外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル スカウト
⇒ちーやん夜話集
表
話
編