なかむら こういち
中村 浩一
生誕 (1967-12-02) 1967年12月2日(56歳)
日本・愛知県名古屋市中村区
出身校中京大学社会学部卒業
職業実業家
芸能プロモーター
パーソナリティー
団体株式会社mdm代表取締役
株式会社F-PRO1989代表取締役
名古屋美少女ファクトリー「dela」「delamodel」「グランダルメ」プロデューサー
著名な実績名古屋ご当地アイドル『OS☆U』『dela』立ち上げ
影響を受けたもの真田幸村
公式サイト中村浩一
中村 浩一(なかむら こういち、1967年〈昭和42年〉12月2日 - )は、名古屋市を拠点に活動する実業家・芸能プロモーター・パーソナリティー。広告代理店「株式会社mdm」代表取締役[1]、芸能事務所「株式会社F-PRO1989」代表取締役。愛知県名古屋市中村区出身、中京大学社会学部卒業。 愛知県名古屋市中村区生まれ[2]。中京大学社会学部在学時[3]に、学生タレントとして活動するうち名古屋テレビの番組ブレーン、キャスティングとして参加。テレビ番組『平成のオキテ』『オトナになりたい』『そんなバカな』『オジャマンナイト』などを担当した[2]。 1987年(昭和62年)中京テレビ『5時SATマガジン』レポーターとしてタレント活動を開始[4]。 大学卒業後も広告会社に勤務しながら、名古屋テレビの番組ブレーンを継続[5]。 1989年(平成7年)10月29日、名古屋の大学生フリータレントの精鋭を集めて任意団体「FIRST&FINAL PROJECT since1989」を設立(後に芸能事務所となり、現在の株式会社F-PRO1989)、リーダー(現在は代表取締役)に就任。名古屋の芸能界の劣悪な環境、地位の低さ、一定レベル以上のタレントの少なさに失意を覚えて事務所に所属することを拒否し、「自分たちが名古屋の芸能界を作ってやろう」と中村自らメンバーを集め出した。女優の岩橋道子、ものまねタレントの古賀シュウが在籍していた[5]。 1997年(平成9年)総合出版業の名古屋流行発信に移籍。雑誌編集と並行してコミュニティ放送局・SHANANA!FM(現MID-FM)プロデューサーとして活動する[6]。 2002年(平成14年)独立。名古屋で広告会社「株式会社mdm」を設立(代表取締役に就任)[2] 2010年(平成22年)に「今の時代はインターネットがあれば名古屋からでも十分に情報発信ができる、地域の芸能文化を発展させ、地元を離れずに活動できる環境を確立したい」と大須を名古屋のサブカルチャーの中心地と考えてアイドルグループ『OS☆U』の創設に携わり[4]、初代プロデューサーを務めた[7]。 2012年(平成24年)名古屋駅西側(駅西)を拠点とするアイドルグループ『dela』を創設[8]。プロデューサーを務めた[9][10]。 2017年(平成29年)7月9日?10月16日、東海ラジオにて音楽番組『J-LEGEND 1st 沢田研二』パーソナリティーを務める[11]。 2019年(令和元年)12月29日、沢田研二ファンと[12]と多メディアからの反響が多く、『J-LEGEND 2nd 沢田研二』が放送。パーソナリティーを務める[13]。
経歴
人物
実姉が元ミス名古屋フラワーガール[2]。
小学校4年生のときに沢田研二とザ・タイガースに衝撃をうける。「初のカラーコンタクト」「初のビジュアル系」「初のテクノポップ」など誰もやってないことに挑戦していく姿勢に影響された[2]。
趣味は麻雀と、高校のクラブ活動から続けているラグビー、ポジションはフルバック。クラブチームで30年ラグビーを続ける[8]。
好きな言葉はラグビー用語の「one for all,all for all、1人はみんなのために、みんなは1つの目標のために」「栄冠はみんなでつないで勝ち取るもの、一人だけスターがいてもチームとしての勝利はない。ステージに立っている者もそうでない者も全員がひとつのチーム」[14][2]。
尊敬する人は真田幸村。自分の意思を曲げず巨大な相手に屈しない生き方が理由。自身の作詞家ペンネーム「雪村」は真田幸村からきている[15]。
2020年発売の週刊プレイボーイに中村氏は「人とのつながりが蜘蛛の糸になってきた」「経営はペナントレース!負けても命があれば必ず復活できる」とインタビューで持論を展開する[16]。
プロデュース
フジテレビ『第38回さんまの地方CM大賞』ノミネート作品『全建愛知 萌え編』(制作、2008年)