中村正常
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中村 正常(なかむら まさつね、1901年明治34年)11月6日 - 1981年昭和56年)11月6日)は、日本の劇作家小説家。長女は女優の中村メイコ[注釈 1][1]叔父物理学者中村清二。孫は作家の神津カンナ、女優の神津はづき、画家の神津善之介
来歴中村正常(右端)、娘の中村メイコ(左端)。1957年撮影。

東京市小石川区(現・東京都文京区)生まれ。第七高等学校造士館を中退[2]

1927年(昭和2年)に『不同調』(新潮社)に登場し、岸田國士に師事。阪中正夫、阿部正雄らと『悲劇喜劇』の編集に従事。

1929年(昭和4年)5月に第2回『改造』懸賞戯曲に「マカロニ」が当選し[1]1930年(昭和5年)に蝙蝠座同人として新興芸術派倶楽部に参加[注釈 2]1931年(昭和6年)暮れ、讀賣新聞社入社。記者記事の内容を面白く書き直す仕事に従事した[3]今日出海らと新劇運動をするかたわら「ボア吉の求婚」「隕石の寝床」などのナンセンスユーモア作品を発表。

のち、新興芸術派の衰退とともに文壇を去った[2]

1981年(昭和56年)、満80歳で死去(生没同日)。
著書

『ボア吉の求婚』新潮社 新興芸術派叢書、
1930年、のちゆまに書房『新興芸術派叢書 16』2000年で復刻[注釈 3] 

『隕石の寢床』改造社 新鋭文学叢書、1930年、のちゆまに書房『新鋭文学叢書 3』1998年で復刻[注釈 4]  

『花嫁戯語』春陽堂 日本小説文庫、1932年

『二人用寢臺』春陽堂 日本小説文庫、1933年[注釈 5]

『ですネ物語』新泉社、1935年

『現代ユーモア小説全集 第6巻 虹の下の街・チエコとチヤコ株式会社 他十八篇』アトリヱ社、1935年[注釈 6]

『歳末遣繰譚・適齢ガール三人組』第百書房、1935年[注釈 7]

『彼女の新體制 ユーモア小説集』代々木書房、1941年[注釈 8]

『社長陣頭に指揮す』大白書房、1943年[注釈 9]

作品

「パンヤ文七の開拓<プロロオグ>、『馬鹿の標本』座談会<第1幕>」『蝙蝠座第一回公演上演台本 ルル子 全7幕』平凡社、1930年 所収

「廢物利用の會」兒童劇研究會編、福岡信夫編輯『新兒童劇集』日本學藝社、1935年 所収

「超現実派の花嫁」『大衆文学大系』講談社、1971-1980年 所収

「女体沐浴」『芸術至上主義文芸』第7号、1981年 所収
[注釈 10]

「日曜日のホテルの電話」鈴木貞美編『モダン都市文学 モダンガールの誘惑』平凡社、1989年 所収

「人造人間ロボット氏訪問記」海野弘編『モダン都市文学 機械のメトロポリス』平凡社、1990年 所収

「デパート二十四時間」和田博文監修『コレクション・モダン都市文化 第8巻 デパート』ゆまに書房、2005年 所収

「幸福な結婚」「三人のウルトラ・マダム」北村薫宮部みゆき編『名短篇ほりだしもの』筑摩書房、2011年 所収



「ポンチポンチの皿廻し 唄とピアノの為に」中村正常作詞
吉田たか子(隆子)作曲 箕作秋吉編『日本新歌曲集』春秋社、1933年 所収

児童劇音源

「メイ子チャンと社頭の対面」中村正常作詞、
米山正夫作編曲、中村メイ子、清水美佐子、日本ポリドール管弦楽団、1940年

記事

「『悲劇喜劇』創刊の頃」『悲劇喜劇』第8巻5号、1954年

「対談〈やアこんにちわ〉」『週刊読売』、1955年(
近藤日出造と)

「子の脛をカジロウ族」『文藝春秋』第36巻13号、1958年

「聞き書・中村正常」『芸術至上主義文芸』第7号、1981年

脚注
注釈^ 一人娘のメイコは、家庭で教え育てあげられたことが有名。
^ 新潮社の編集者である楢崎勤の勧誘を受けた。「中村正常・聞き書」『芸術至上主義文芸』芸術至上主義文芸学会、1981年 p.122
^ 長靴をはいた猫、ボア吉の求婚、コスモス女學校、ポンチの月、赤蟻、三度夫人の別れの日、葉夫人の指環、幼友達、年と責任の話、たはむれの會話、アミコ・テミコ・チミコ、チミコの卒業、人形醫者の診察、お辭儀の二態。
^ マカロニ、アリストテレスの後裔、女學生氣質、隕石の寢床、凉廊夜話、畫伯、赤い綬の勳章、時計の下の求愛、一家、日曜日の手紙、二組の登場人物、厭世哲學。
^ 二人用寢臺、子寶をためた話、愛は地上の建設、戀の骨折りぞん、ズボンをはいた天使、ウルトラ女子讀本、喫茶餘談


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