中村梅玉
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祇園守 祇園銀杏

中村 梅玉(なかむら ばいぎょく)は歌舞伎役者の名跡屋号高砂屋定紋は祇園守、替紋は祇園銀杏。
解説

「梅玉」は三代目中村歌右衛門の俳名に由来する。「中村福助」の名跡が東西に分裂したのち、大阪の高砂屋三代目福助は「中村歌右衛門」を襲名するわけにもゆかないことから、三代目歌右衛門の俳名「梅玉」を名跡として独立させ、これを二代目として名乗った。

1948年(昭和23年)に三代目梅玉が死去し、1969年(昭和44年) にその養子・高砂屋五代目福助が死去すると、高砂屋では家系が途絶えたため遺族が「福助」の名跡を成駒屋に返上することを申し出た。

これをうけて六代目中村歌右衛門は、昭和42年 (1967)に前名の二代目加賀屋福之助から成駒屋八代目福助を襲名した養長子を、平成4(1992)年に高砂屋の四代目中村梅玉とした。ここに100年以上にわたって分裂していた「中村福助」の名跡は「中村梅玉」の名跡と共に統合されることになった。

(初代 中村梅玉)
初代中村歌右衛門の子、1778?1838。初代加賀屋福之助 → 三代目中村歌右衛門 → 初代中村芝翫 → 三代目中村歌右衛門(俳名:初代梅玉)→ 中村玉助

二代目 中村梅玉
五代目三枡大五郎の養子、のち二代目中村福助の門弟、1842?1921。実父は京の鍛冶職人。藤岡菊太郎 → 中村玉蔵 → 四代目三枡他人 → 高砂屋三代目中村福助 → 二代目中村梅玉

三代目 中村梅玉
二代目の養子、1875?1948。二代目中村政治郎 → 高砂屋四代目中村福助 → 三代目中村梅玉

四代目 中村梅玉
六代目中村歌右衛門の養子、1946? 。当代。二代目加賀屋福之助 → 八代目中村福助 → 四代目中村梅玉 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。


更新日時:2018年8月24日(金)21:44
取得日時:2019/07/16 09:01


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