中村晃毅
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日本政治家中村 晃毅なかむら こうき
生年月日1938年1月1日
出生地愛知県幡豆郡平坂町
没年月日 (2012-04-07) 2012年4月7日(74歳没)
出身校愛知県立西尾高等学校
所属政党(無所属→)
諸派→)
(無所属→)
自由民主党→)
無所属
西尾市
当選回数1回
在任期間2005年9月15日 - 2009年5月20日
愛知県議会議員
選挙区西尾市選挙区
当選回数3回
在任期間1979年4月30日 - 1983年4月29日
1993年12月12日 - 1999年4月29日
西尾市議会議員
当選回数2回
在任期間1975年1月 - 1979年1月
1987年1月 - 1991年1月
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中村 晃毅(なかむら こうき、1938年昭和13年)1月1日[1] - 2012年平成24年)4月7日)は、日本政治家愛知県西尾市長(1期)、愛知県議会議員(3期)、西尾市議会議員(2期)などを歴任した。2009年(平成21年)に受託収賄容疑で逮捕され、市議会の不信任決議により失職した。
来歴

愛知県幡豆郡平坂町(現・西尾市)に生まれる。平坂町立平坂中学校(現・西尾市立平坂中学校)卒業[2]愛知県立西尾高等学校卒業後、父親から農業と瓦製造業を引き継ぐ[3]。その傍ら青年団活動に没頭。西尾市青年団協議会長にもなった[4]

1975年(昭和50年)1月、父親の後継者として西尾市議会議員選挙に出馬し初当選[4][5]。1979年(昭和54年)4月、愛知県議会議員選挙に西尾市選挙区(定数1)から無所属で出馬し初当選した[6][7]。1983年(昭和58年)の県議選は「県政をよくする会」公認で立候補するも落選した[8]

1987年(昭和62年)1月、市議選に立候補し通算2期目の当選。

県議選を3か月後に控えた1991年(平成3年)1月、市内で交通事故を引き起こし、高齢者を死亡させた[9]。4月7日に行われた県議選に無所属で立候補し再び落選[10]。明くる4月8日、当選者の川上万一郎の幹部の市議ら5人が公職選挙法違反の疑いで逮捕される[11]。関係者の逮捕者は計19人にのぼり、5月5日には川上本人も逮捕された[12]。7月19日、川上が辞職[13]。ところが当時、選挙人から議員定数に係る選挙無効訴訟が提起されていたため、補欠選挙の執行は停止される。1993年(平成5年)10月29日、最高裁判所から訴訟が継続しなくなった旨の通知を受理したことから、同年12月12日にようやく補選が行われることとなった。候補者は中村と前市議の榊原康正の2名、共に自由民主党の公認を得ての出馬であった。563票差で中村が2期目の当選を果たした[14]

1995年(平成7年)4月9日に行われた県議選は定数が1から2に増えた。中村は自民党公認で出馬し、前回の補選で戦った榊原康正は新進党公認で出馬した。無投票で共に当選。県議在職時は岩瀬文庫の建て替えに尽力[15]。また、自民党県議団幹事長を務めた[16]

1999年(平成11年)の県議選は、返り咲きを狙う川上万一郎と榊原が共に無所属で出馬。自民党から出た中村は、2位当選の榊原に513票差で敗れ落選[6]
市長選に出馬

2001年(平成13年)8月23日、任期満了に伴う西尾市長選挙に立候補することを表明。のちに自民党を離党した[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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