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出典検索?: "中村哲" 俳優
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なかむら てつ
中村 哲
本名中村 哲(なかむら さとし)
生年月日 (1908-09-19) 1908年9月19日
没年月日 (1992-08-03) 1992年8月3日(83歳没)
出生地 カナダ・バンクーバー
死没地 日本・東京都清瀬市
国籍 日本
職業俳優、声楽家、声優
ジャンル舞台、映画、テレビドラマ
活動期間1941年 - 1984年
配偶者中村サチ(妻)
著名な家族寺島優(長男)
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中村 哲(なかむら てつ[1][2][注釈 1]、(1908年〈明治41年〉9月19日[1] - 1992年〈平成4年〉8月3日)は、日本の俳優・声楽家。カナダ[2]・バンクーバー出身[1]。
長男は漫画家・漫画原作者の寺島優。 父は日本からの移民で山林業を営んでいた。日系カナダ移民による野球チームであるバンクーバー朝日に所属し本塁打王となるが、肩を壊して退団した。ハイスクール時代から声楽家を目指し、音楽アカデミーに入学。卒業後はバリトン歌手として放送に出演して、リサイタルを開くまでになる。1940年に訪日、日活映画演技研究所に入り、1941年10月に卒業。この間、青山青年会館
来歴・人物
1942年1月に東宝の専属俳優となり、1943年の『阿片戦争』から脇役として映画出演を始め、1944年にはフィリピン・ロケの大作『あの旗を撃て』に通訳を兼ねて出演。戦後も多くの東宝作品に出演する一方、『東京ファイル212』や『二人の瞳』といった日米合作映画のはしりとなった作品にも登場。個性的な風貌で、様々な役柄を演じた[2]。
1953年に藤原歌劇団の渡米公演に参加した後は映画に専念し、日米合作映画や東宝の特撮映画といった国際的な作品に出演した。1971年の『レッド・サン』では主演の三船敏郎の主君役である日本国大使の坂口備前守を演じ、アラン・ドロンやチャールズ・ブロンソンとも共演している。映画監督の本多猪四郎は、英語のできる日本人の代表として、合作や輸出作などで中村を多く起用した[3]。
フォーク・グループピーター・ポール&マリーの1967年に行われた2回目の来日公演において、会場MCの吹き替えを担当。この模様はライブアルバム「ピーター・ポール&マリー イン・ジャパン」に収録。長く廃盤となっていたが、2012年紙ジャケット仕様にてCD復刻された。
1992年8月3日午前0時47分に心不全の為、東京都清瀬市の病院で死去した。83歳没[4]。
出演作品
映画
阿片戦争(1943年)
あの旗を撃て コレヒドールの最後(1943年)
僕の父さん(1946年) - 市倉先生
ある夜の殿様(1948年) - 中久保完
誰がために金はある(1948年) - 横井
愛情診断書(1948年) - 河津繁三
幸運の椅子(1948年) - ケンタッキー・ホーム
覗かれた足(1951年) - 島村
運命(1951年) - 則知
恋の蘭燈(1951年) - 大崎芳蔵
ゲイシャ・ガール(1951年) - テツ・ナカノ
東京ファイル212(1952年) ? 大山
二人の瞳(1952年) ? 武宮一郎
蝶々夫人(1955年) - やまどり
芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏(1955年) - 竹田
黒帶三国志(1956年) - 印東祐一郎
イカサマ紳士録(1956年) - ジョージ神山
地球防衛軍(1957年) - 幸田博士[5]
東京だョおッ母さん(1957年) - 鉄
変身人間シリーズ
美女と液体人間(1958年) - 金と呼ばれる紳士[5]
ガス人間第一号(1960年) - 戸部[5]
野獣死すべし(1959年) - チャーリー陳
双頭の殺人鬼(英語版)(1959年)
侍とお姐ちゃん(1960年) - 椿大作
モスラ(1961年) - ネルソンの部下[1][2]
香港の夜(1961年) - 鄭青竜
ガンバー課長(1961年) - 趙社長
五十万人の遺産(1963年) - 東洋人風の男
国際秘密警察シリーズ
国際秘密警察 指令第8号(1963年) - ビンホア
国際秘密警察 虎の牙(1964年) - 大牟田
国際秘密警察 鍵の鍵(1965年) - スリタイ
国際秘密警察 絶体絶命(1967年) - ZZZ香港支部長