中村 修(なかむら おさむ、1844年1月14日(天保14年11月25日[1])- 1915年(大正4年)6月6日[2])は、初代名古屋市長。初名は修之進。
経歴に学んだ[1]。尊王攘夷を唱え、丹羽賢・田中不二麿とともに建白書を家老に提出した。1867年(慶応3年)、京都留守居役となり、諸藩の志士と交わった[1]。戊辰戦争の際には藩主徳川慶勝を助けて藩論を新政府側に統一するのに功績があった。
1869年(明治2年)、尾張藩大参事となるが、廃藩置県後に免じられ、岡山県権参事に転じた。1873年(明治6年)より宮内省に出仕し、各宮家の家事を管理した。1881年(明治14年)、司法省に転じて東京控訴院検事、函館控訴院検事を歴任した。1886年(明治19年)からは北海道の各郡で郡長として拓殖事業にあたった[2]。
1889年(明治22年)、市町村制の施行とともに初代の名古屋市長に選ばれ、翌年まで在職した。退任後は尾張徳川家の家令、相談役を務めた[1]。
栄典・授章・授賞
1883年(明治16年)11月30日 - 正七位[3]
1890年(明治23年)3月1日 - 大日本帝国憲法発布記念章[4]
脚注^ a b c d ⇒中村修特旨叙位ノ件
^ a b c 『尾張の勤王』P.29-37
^ 『官報』第150号「叙任」1883年12月26日。
^ 『官報』第2021号「叙任及辞令」1890年3月29日。
参考文献
荻野錬次郎『尾張の勤王』金鱗社、1922年。
⇒中村修特旨叙位ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)
公職
先代
兵頭正懿 函館控訴裁判所検事長
1882年 - 1886年次代
春木義彰
守山市長
加藤千一1954.6.1-1955.2
黒田毅1955.2-1963.2.14
官選
区長
吉田禄在1878.12.20-1888.11
服部直衡1888.11-1889
市長
中村修1889.12.17-1890.9.11
志水忠平1890.11.6-1894.2.12
柳本直太郎1894.2.28-1897.6.26
志水直1897.7.19-1901.12.2
青山朗1901.12.27-1906.4.12
加藤重三郎1906.6.27-1911.7.3
阪本ソ之助1911.7.4-1917.1.23
佐藤孝三郎1917.7.3-1921.7.2
大喜多寅之助1921.7.2-1922.2.2
川崎卓吉1922.4.1-1924.6.11
田阪千助1924.9.25-1927.8.1
大岩勇夫1927.8.1-1938.12.5
縣忍1939.1.10-1942.1.6
佐藤正俊1942.2.21-1946.11.1
公選
塚本三1947.2.21-1952.8.25
小林橘川1952.9.28-1961.3.16
杉戸清1961.4.28-1973.4.27
本山政雄1973.4.28-1985.4.27
西尾武喜1985.4.28-1997.4.27
松原武久1997.4.28-2009.4.27
河村たかし2009.4.28-
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