この項目では、タレント・パントマイマーの中村ゆうじについて説明しています。他のなかむらゆうじについては「Wikipedia:索引 なかむ#なかむらゆ」をご覧ください。
中村 ゆうじ
本名中村 有志
ニックネームユウちゃん
生年月日 (1956-07-08) 1956年7月8日(67歳)
出身地 日本・福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)
身長172cm
言語日本語
方言共通語・北九州弁
最終学歴 日本
福岡県立小倉南高等学校卒業
師匠杉兵助
出身テアトル・エコー
芸風司会業・レポーター・パントマイム
事務所フリー
活動時期1977年 -
同期南部虎弾
過去の代表番組グッドモーニング
アートエンターテインメント 迷宮美術館
TVチャンピオン
天才ビットくん
えいごリアン
元祖!大食い王決定戦
ほか
他の活動パントマイマー
俳優
配偶者既婚
親族Tentoku
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中村ゆうじ
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中村ゆうじチャンネル
中村 有志(なかむら ゆうじ、1956年7月8日 - )は、中村 ゆうじの芸名で活動している日本のお笑いタレント、コメディアン、俳優、司会者で新劇、パントマイム、コメディアン経験者[1]。なお、本名で活動していた期間もある。福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身。国籍は日本。所属事務所は現在はなく、フリーで活動中。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)の旦過市場内にあった「中村靴店」で自宅出産で誕生。中学2年の時に父親が体調を崩して引っ越すまで同地で暮らしていた[2]。 福岡県立小倉南高等学校卒業後、1975年に劇団付属養成所「テアトル・エコー」入所。1977年、ロルフ・シャレと出会いパントマイムの道を志すようになり、1987年にはパリへ単身渡航し修業に励んだ。 1981年、コントグループ「東京バッテリー工場」で、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)にて二代目グランドチャンピオン。1983年の脱退後ピンで再挑戦し、七代目グランドチャンピオンに輝く。脱退の理由としては、当時のリーダー原みつおと大喧嘩になり、「二度と顔をあわせたくない。」と喧嘩別れをして、本当に原みつおが死んでしまい会えないままになってしまった。 1985年にシティボーイズ(大竹まこと・斉木しげる・きたろう)・竹中直人・いとうせいこう・宮沢章夫らと結成したギャグユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」に参加し活躍。 1988年、いとうとファンキー・キング名義で『FUNKY KING Part.1』をリリース(小林克也・ヤン富田プロデュース)楽曲を提供した[3]。ジェームス・ブラウンの『セックスマシーン』 「Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine
経歴
1992年に「中村ゆうじ」から本名の「中村有志」へ改名し、以後はテレビ番組の司会・リポーターや舞台など幅広く活動している。特に『TVチャンピオン』(テレビ東京)では長きにわたりリポーターを務め、さかなクン、ジャイアント白田、ギャル曽根、アンジェラ佐藤など中村が付けたあだ名でタレント活動を行っている出場者も多い[4]。