中書島駅
駅舎(2017年10月)
ちゅうしょじま
Chushojima
所在地京都市伏見区葭島矢倉町59番地.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度55分36.77秒 東経135度45分36.07秒 / 北緯34.9268806度 東経135.7600194度 / 34.9268806; 135.7600194
中書島駅(ちゅうしょじまえき)は、京都府京都市伏見区葭島(よしじま)矢倉町にある、京阪電気鉄道の駅。駅番号はKH28。 開業時・駅横に変電所が造られ、伏見港との接続。大正時代には宇治線の開通と京都電気鉄道伏見線の開業、急行運転の開始と共に急行停車駅となる。太平洋戦争末期には他の交通機関との連絡をするためにと伏見港への側線が建設されている(完成は戦後)。戦後・現在の中央の島ホームの京都向きに凹形の折り返しホームがあった[1]。また1969年には踏切集中監視制御システムの中央装置が設けられる[2]。平成になると特急停車駅に格上げされ、中書島事務所が竣工(ADECと電力管理システム中央装置の更新、緊急地震警報システム導入)[3]、と京阪の京都側の交通の要所として発展してきた。 文禄年間、中務少輔に任官していた脇坂安治が宇治川の分流に囲まれた島に屋敷を建て住んだことから、「中書島」の名前が生まれたとされる。中務少輔の唐名が「中書」であったことから、脇坂は「中書(ちゅうじょう)さま」と呼ばれていた。その「中書さま」の住む屋敷の島という理由で「中書島」と呼ばれるようになった[4]。 正式な地名には使用されておらず、駅の所在地の葭島矢倉町のほかに北浜町・西浜町・東柳町などが中書島とよばれる区画に属している。
利用可能な鉄道路線
京阪電気鉄道
京阪本線
宇治線 ※始発駅
歴史
駅名の由来
年表リニューアル前の北出口(2007年5月)
1910年(明治43年)4月15日:京阪本線開通と同時に開業。
1913年(大正2年)6月1日:京阪宇治線開業。駅を移設して乗換駅となる[5]。
1914年(大正3年)8月25日:京都電気鉄道伏見線(1918年7月1日より京都市電)が当駅まで延伸。
1916年(大正5年)4月1日:急行停車駅となる。
1917年(大正6年)10月1日:大正水害により淀-中書島駅間の堤防破損ほかで京阪本線・宇治線が不通。10月11日に三条-中書島間運転再開。同月18日に淀-中書島駅間が復旧、運転再開[6]。
1934年(昭和9年)9月21日:室戸台風が来襲、停電で全線不通。同月27日運転再開[7]。
1935年(昭和10年)
6月29日:鴨川水害の余波で山科川が氾濫で浸水して宇治線が全線不通、7月1日運転再開[7]。
8月11日:宇治川が氾濫などで浸水、京阪線当駅-枚方東口駅(現・枚方市駅)間と宇治線全線が不通。8月13日運転再開[7]。
1939年(昭和14年)2月21日:駅信号扱所が原因不明の火災で全焼[8]
1943年(昭和18年)10月1日:会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1947年(昭和22年)4月30日:伏見港修築に伴う新設貨物線竣工[5]。
1949年(昭和24年)