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中日クラウンズ
トーナメント情報
創設1960年
(中部日本招待全日本アマ・プロゴルフ選手権として)
開催地愛知県
開催コース名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース
基準打数Par70(2024年)[1]
ヤーデージ6557Yards(2024年)[1]
主催CBCテレビ
中日新聞社
ツアー日本ゴルフツアー機構
競技方法ストロークプレー
賞金総額1.1億円(2024年)
開催月5月第1週(2019年)
最高記録
最少打数260 尾崎将司(1995年)
通算スコア-20 同上
最新優勝者
米澤蓮(2024年)
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中日クラウンズ(ちゅうにちクラウンズ、英称:The Crowns)は、1960年から日本ゴルフツアー機構(JGTO)公認の男子プロゴルフトーナメントの1つである。 CBCテレビ(2013年までは、2014年3月31日までの認定放送持株会社移行並びに分社化前にあたるため、中部日本放送)・中日新聞社主催で毎年4月末・5月上旬の木曜から日曜にかけての4日間、愛知県愛知郡東郷町にある名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースで開催されている[注釈 1]。 1960年の第1回[注釈 2]から現在も続いているトーナメントであり、民間ゴルフトーナメントの草分け的存在でもある[注釈 3]。 本大会優勝者には、チャンピオンブレザーと王冠トロフィー、副賞としてスポンサーのトヨタ自動車よりクラウン[注釈 4][注釈 5][注釈 6]が贈呈され、ホールインワンを達成した選手にはやはりトヨタ自動車より「トヨタホールインワン賞」として人気車が贈呈される(アマチュアの場合は車ではなく記念品)[注釈 7][注釈 8][注釈 9][注釈 10]。 2024年現在、賞金総額1億1000万円、優勝賞金2200万円[注釈 11]。また2009年に限り「JGTO中部スプリング・ダッシュ賞」が設けられ、当大会と東建ホームメイトカップの成績をポイント化し、2戦合計の最多得点者に1000万円の賞金が贈られた。なお、1984年から1998年大会までの優勝者には、その年の8月にアメリカ・オハイオ州アクロンの ファイアストーン・カントリークラブ
概要
かつては海外から一流選手を招聘し、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤー、アーノルド・パーマー、デビッド・トムズ、リー・ジャンセン、ジャスティン・レナード、ジョン・デーリー、コリー・ペイビン、フレッド・カプルスなどが出場した。海外のメジャー大会、マスターズ・トーナメントからあまり日を置かずに開催されたこと、また、歴代優勝者を重んじたこと、加えて難攻不落と言われる和合コースでの開催、さらに一時期ではあるが、円建てのトーナメントとしては国内最高の賞金総額・優勝賞金を誇ったことから、「日本のマスターズ」あるいは「東洋のマスターズ」と呼ばれたこともあった。歴代の優勝者には、いずれも2度制覇したピーター・トムソン(1969、1972年)、グラハム・マーシュ(1977、1981年)、スコット・シンプソン(1984、1988年)に加え、グレグ・ノーマン、セベ・バレステロス、デービス・ラブ3世、ダレン・クラーク、ジャスティン・ローズなどが名を連ねている。とりわけラブ3世は、1998年の第39回で完全優勝を達成し、2位に大会新記録の8ストローク差をつけた。
第9回(1968年)には安田春雄と鈴村久による9ホールにわたるプレーオフ、第17回(1976年)にはデビッド・グラハムの大逆転優勝、青木功(1978?1980年)、尾崎将司(1995?1997年)の3連覇などが知られている。
第48回(2007年)はハワイ在住の日系人、タッド・フジカワが参加するなど開催前から話題を集めたが、グリーンの改修などで以前のような難度の高いコース設定に選手が苦しめられ予選通過ラインは8オーバーまで下がり、4日間通算でもアンダーパーで上がったのは優勝争いを繰り広げた宮瀬博文と谷口徹の2人だけ。この両者が通算2アンダー、278ストロークで並んだため18番ホールにてプレーオフを行い、宮瀬が初優勝を果たした。
第51回(2010年)は、前日まで首位と6打差の18位だった石川遼が、最終日に男子ツアータイ記録となる12バーディーを記録し、通算13アンダーで逆転優勝した。1ラウンド58は男子国内ツアー新記録で世界記録を達成した。
杉原輝雄は第1回大会から51年連続出場を続け、アーノルド・パーマーのマスターズ・トーナメントにおける同一大会連続50年出場を破る世界記録を達成したが[注釈 12]、2011年の第52回大会は体調不良を理由に欠場。連続出場記録は51回でストップした[注釈 13]。
また第52回大会では尾崎将司が64歳3ヵ月で予選を通過し、1976年の第17回大会での中村寅吉の60歳7ヵ月を上回る大会史上最年長予選通過記録を更新した[注釈 14]。
2020年は新型コロナの緊急事態宣言発令により中止[2]。2021年は第61回として扱うが、「新型コロナの感染拡大の状況が不透明な状況である」として無観客試合として行い、また賞金総額も1億円(優勝賞金2000万円)に減額して開催する予定だったが[3]、4月29日の第1日が雨のため中止となったため54ホールに短縮。