中斜里駅
駅舎(2017年5月)
なかしゃり
Naka-Shari
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所在地北海道斜里郡斜里町字中斜里83.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度52分28.59秒 東経144度39分32.52秒 / 北緯43.8746083度 東経144.6590333度 / 43.8746083; 144.6590333
中斜里駅(なかしゃりえき)は北海道斜里郡斜里町字中斜里にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。駅番号はB71。事務管理コードは▲111615[3]。
本稿では、駅周辺の斜里町字川上111にある、日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ集配基地の中斜里オフレールステーションについても記述する。 現駅名は斜里駅(現:知床斜里駅)と上斜里駅(現:清里町駅)の間にあることからの名称である[8]。 改称前の駅名である猿澗川は斜里川の支流(現:猿間川)に由来する名称で、アイヌ語に由来するが諸説ある。 知里真志保による『斜里町史地名解』では「サ?パオマナイ(sar-pa-oma-nay)」(サ?〔=斜里[9]〕の・しもに・ある・川)あるいは「サ?パペッ(sar-pa-pet)」(サ?の・川しもの・川)という解釈が紹介されており[10]、これについて山田秀三は「この川が斜里川下流に入ることを示したものとされたのだろう[10]」としている。 また、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』は「サ?オマペッ(sar-oma-pet)」(葦原・にある・川)によるとする説を掲載している[4][10]。 単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては副本線(旅客ホームなし)および貨物ホームを有していた[11]。知床斜里駅管理の無人駅である。 中斜里オフレールステーション(略称:中斜里ORS)は、JR貨物のコンテナ集配基地である。ここでは12フィートコンテナのみを取り扱っており、貨物列車の代替のトラック便が釧路貨物駅との間に1日2往復設定されている。 かつて中斜里駅は、ホクレン中斜里製糖工場の専用線を発着する、東鹿越駅発送の石灰石、西港駅発送の石油(1996年まで)、製品積載のコンテナなどの貨物を取り扱っていたが、1997年(平成9年)3月以降、中斜里駅は貨物列車の発着のない自動車代行駅となり、専用線は廃止された。その後2002年(平成14年)4月に当駅までのJR貨物の第二種鉄道事業が廃止になったためJR貨物中斜里駅は廃止され、中斜里コンテナセンターが設置された。中斜里コンテナセンターは2006年(平成18年)4月に現在の名称に改称した。 乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。 また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。 年度乗車人員出典備考
歴史1977年の中斜里駅と周囲約1 km範囲。右が網走方面。かつては単式ホーム1面1線と貨物積卸線、駅舎横の釧路側に設けられた貨物ホームへ引込み線を有するだけのごく小さな一般駅であり、すぐ裏にストックヤードが広がっていて、多くの木材が野積みされていた。その後、左側に見えるホクレン中斜里製糖所が1958年(昭和33年)から操業を始め、ヤードの敷地に多数の仕分線もしくは留置線が敷かれ、かつての貨物積卸線は留置線を兼ねた副本線になり、ヤード前に新たに貨物積卸線が敷かれた。専用線は釧路側本線脇を暫く併走した後に、工場へ向けて2つのカーブを描いて向かっている。また駅の網走側からも右上の製材工場へ引込み線が敷かれていて(因みに1971年の航空写真では、この製材工場はまだ存在しない。)、その分岐から右の踏切付近まで留置線が伸びている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
1929年(昭和4年)11月14日:国鉄の猿澗川駅(さるまがわえき)として開業[4]。一般駅[2]。
1950年(昭和25年)9月10日:中斜里駅に改称[5][4]。
1958年(昭和33年)8月30日:ホクレン中斜里製糖工場竣工。専用線2782m使用開始。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取扱を廃止[6]。
1986年(昭和61年)11月1日:専用線発着を除く車扱貨物の取扱を廃止[2]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[2]。
1988年(昭和63年)3月13日:専用線発着コンテナ貨物の取扱を開始。
1997年(平成9年)
3月22日:貨物列車の設定がなくなり、トラック輸送に変更[2]。
4月1日:無人駅化[7]。
2002年(平成14年)4月1日:釧網本線の第二種鉄道事業の廃止により、JR貨物中斜里駅廃止。中斜里コンテナセンターが設置される。
2006年(平成18年)4月1日:中斜里コンテナセンターを中斜里オフレールステーションに改称。
駅名の由来
駅構造
待合室(2017年5月)
ホーム(2017年5月)
駅名標(2017年5月)
中斜里オフレールステーション
利用状況
年間1日平均JR調査
2016年(平成28年)6.2[JR北 1]
2017年(平成29年)6.8[JR北 2]
2018年(平成30年)6.6[JR北 3]
2019年(令和元年)6.8[JR北 4]
2020年(令和02年)6.0[JR北 5]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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