中 弘子
プロフィール
誕生日 (1959-04-13) 1959年4月13日(65歳)
出身地 日本・埼玉県
主な作品
アニメ『クレヨンしんちゃん』
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中 弘子(なか ひろこ、1959年[1]4月13日 - )は、日本の女性アニメーション脚本家。埼玉県生まれ。脚本家の荒川稔久は夫[2]。 元々学生時代はマスコミ志望だった[1]。友人が『新造人間キャシャーン』のファンだったことがきっかけで、中学3年生の頃から同作を制作するタツノコプロに在籍した脚本家の小山高生(当時、小山高男)と文通を始める[1]。大学時代から小山の下で脚本家の勉強を始め、クイズ番組の問題作成や身の上相談番組の悩みを作った[1]。大学卒業後の1982年から小山高男事務所に所属。同年4月放送開始の『手塚治虫のドン・ドラキュラ』で脚本を執筆し決定稿となってデビューする予定が、打ち切りによってデビューが幻となる。そのため、半年後の10月から放送の『一ッ星家のウルトラ婆さん』の第4回がデビュー作となった。しかし同作も10本の脚本を執筆したが、6本が放送されたところで打ち切りの憂き目にあっている[1]。 1992年から放送開始の『クレヨンしんちゃん』では、テレビアニメ版の脚本をただ一人、放送開始年(第1話Bパート)から現在まで30年に亘り執筆を続ける。 2011年に発売された「クレヨンしんちゃん メモリアルボックス」の解説書では、放送第1回目Aパートから2014年(840話Bパート)まで脚本に参加した翁妙子とのインタビューが掲載されている[3]。
人物
作品リスト
テレビアニメ
1982年
逆転イッパツマン(-1983年、脚本)※小山高男との共同。
一ッ星家のウルトラ婆さん(-1983年、脚本)
1983年
パーマン (第2作)(-1985年、脚本)
1984年
オヨネコぶーにゃん(脚本[4])
1985年
炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ(脚本[5])
オバケのQ太郎(-1987年、脚本)
昭和アホ草紙あかぬけ一番!(脚本)
1986年
ドテラマン(-1987年、脚本)
マシンロボ クロノスの大逆襲(-1987年、脚本)※中ひろ子名義。
まんがなるほど物語(-1988年、脚本[6])
1987年
陽あたり良好!(-1988年、脚本[7])
1988年
魔神英雄伝ワタル(-1989年、脚本[8])
新まんがなるほど物語(-1989年、脚本[9])
ビリ犬(脚本)
1989年
らんま1/2 熱闘編(-1992年、脚本)
魔動王グランゾート(-1990年、脚本[10])
ダッシュ!四駆郎(-1990年、脚本)
1990年
魔神英雄伝ワタル2(-1991年、脚本)
アイドル天使ようこそようこ(-1991年、脚本)
魔法のエンジェルスイートミント(-1991年、脚本)
三つ目がとおる(-1991年、脚本)
1991年
きんぎょ注意報!(-1992年、脚本)
どろろんぱっ!(脚本)
妖花マンドラゴラの逆襲(脚本[11])
楽しいムーミン一家 冒険日記(-1992年、脚本)
1992年
クレヨンしんちゃん(1992年-、脚本)
ママは小学4年生(脚本)
1993年
ミラクル☆ガールズ (脚本)
1994年
白雪姫の伝説(-1995年、脚本[12])
1996年
シンデレラ物語(脚本[13])
1997年
超魔神英雄伝ワタル(-1998年、脚本)
1999年
スージーちゃんとマービー(-2000年、脚本)
2000年
学校の怪談(-2001年、脚本)
2001年
しあわせソウのオコジョさん(-2002年、脚本)
ののちゃん(-2002年、脚本)
よばれてとびでて!アクビちゃん(-2002年、脚本)
2003年
D・N・ANGEL(脚本)
2004年
かいけつゾロリ(-2007年、脚本)
2006年
サルゲッチュ(脚本[14])
2007年
ななついろ★ドロップス(脚本)
2009年
こんにちは アン ?Before Green Gables(脚本)
2013年
LINE TOWN(-2014年、脚本[15])
2016年
NINJAハットリくん リターンズ (第3期)(脚本)
劇場アニメ
2012年
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス(脚本協力)
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 「プロフェッショナル探訪 Vol.33 中弘子」『アニメージュ』1983年3月号、p.91
^ 「平成のヒーロー――特撮脚本家対談 INTERVIEW 荒川稔久×會川昇」『平成大特撮1989-2019』別冊映画秘宝編集部編、洋泉社、2019年、p.71